takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

源内さんとエレキテル

 江戸時代を生きた異色の才人に平賀源内[ひらが げんない、享保13年(1728年)~安永8年12月18日(1780年1月24日)]という人がいます。源内は、江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家です。また、いくつもの名前、号を使った人で画号、俳号、戯作者としての筆名もあります。
 現在の香川県生まれだったため、香川県さぬき市には平賀源内記念館と旧邸があります。もっとも、私は行ったことがありません。もし、これをお読みになった方で記念館を訪れたことがある方はぜひ教えて下さい。
 謎の多い人でもあったため、時代劇でも変な役で使われています。私が覚えている中で一番笑えたのは、「キカイダー01」に登場した源内です。悪の組織シャドウが平賀源内の誘拐を画策してタイムトンネルで江戸時代に移りました。01とビジンダーがこれを追って食い止めるのですが、シャドウがなぜ源内を誘拐したかったのか全く分かりません。源内の才能を利用して悪のマシンを作ろうと考えたのかもしれませんが、タイムマシンを作れるほど高度な科学技術があれば源内レベルの才人は必要ないはずです。
 ちなみに、キカイダーは、01よりも初代キカイダーの方が上手くできています。唯一の救いは若い頃の志穂美悦子ビジンダーの人間態)が格好良かったことでしょう。今年映画になった新しいキカイダーは、観ていないので詳しくは知りません。
 話を戻します、平賀源内は、エレキテルの発明者と誤解されていますが、エレキテルはオランダ製のものを修理しただけです。その原理は源内にも理解できていなかったようです。もちろん、それで修理できたことでも大したものですが、発明した訳ではありません。また、科学者としての評価は二分しています。

 結局のところ実用的研究には一切結びついておらず科学の研究と言うよりは趣味の範囲だったのではないかと思います(私は、ダビンチの科学研究もその範囲だと思います)。何にでも手を出して、色々調べたり、研究したりする人はやはり広く浅い研究になりますから、部分的に深く掘り下げた人には勝てないのです。自戒の念をこめて、書いておきます。
 逆に、夏バテ防止のため「土用の丑の日にウナギを食べる」と言う風習は、夏場の売り上げ不振に悩んだ鰻屋に請われて、平賀源内が考案したと言うのは信ぴょう性が高いようです。また、明和6年(1769年)にはCMソングとされる、歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけ、安永4年(1775年)には音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけてそれぞれ報酬を受けた記録がありますから、コピーライターの元祖と言っても良いでしょう。