takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

昭和3大台風以外も見てみよう

阿久根台風(昭和20年台風第20号)
 通称:阿久根台風(あくねたいふう)は、1945年10月に九州、鹿児島県出水郡阿久根町(現在の鹿児島県阿久根市)付近に上陸した台風です。規模や勢力は大きなものではありませんでしたが、9月に大被害をもたらした枕崎台風(昭和20年台風第16号)から1ヶ月もたたないうちにほぼ同じ経路を取って通過したため被害は大きなものとなりました。戦後混乱している頃でもあり、行政はまともに機能していなかったのでしょう。広い意味で、戦争被害と言えるのかもしれません。
 死者行方不明:451人、負傷者:202人、全半壊家屋:6,181戸と記録にあるのですが、死者行方不明者700名以上と言う別の記録もあります。しかし、恐らく451人説が正しいのだと思います。

カスリーン台風(昭和22年台風第9号・Kathleen)
 カスリーン台風は、昭和22年(1947)年9月に発生し、関東地方や東北地方に大きな災害をもたらしました。キャサリン台風などとも呼ばれています。台風本体の勢力の割には降水量が多い雨台風の典型例とされています。
 当時、日本はアメリカ軍を主とする連合国軍の占領下にあり、台風の英名についても1947年から1953年5月までアメリカ合衆国と同様に、A、B、C順に女性の名前が付けられていました(日本ではこの他にキティ台風、ジェーン台風などが有名)。カスリーン台風の英名は「KATHLEEN」であるので、Aから数えると11番目となります。

 国土交通省関東地方整備局のサイトによれば、この台風は東京の下町や群馬、栃木で大きな水害を発生させました。被害は東京より北の東日本全体です。この被害から利根川水系治水事業が大きく見直されました。この台風の後、利根川水系では、大きな水害は発生していません。
死者 1,077名、行方不明者 853名、負傷者 1,547名

キティ台風(昭和24年台風第10号・Kitty)
 キティ台風は、昭和24年(1949年)8月31日に関東地方に上陸し、関東地方に大きな影響を与えた台風です。
 8月31日に最盛期を迎え、中心気圧956hPaの大型で強い台風になりました。8月31日夜、神奈川県小田原市の西に上陸し、その後台風は北進しました。熊谷、柏崎を通過し、日本海上へ出て温帯低気圧となっています。
 この台風の時は、丁度満ち潮と重なったため、東京湾の海面高さは、基準海面より3.15メートルも高くなり江東区江戸川区などが浸水被害に遭っています。行徳の塩田もこの台風の後ほとんどが廃業に追い込まれました。
 八丈島(東京都八丈町)で最大風速33.2m/s(最大瞬間風速47.2m/s)、横浜で35.2m/s(同44.3m/s)を観測しています。死者135名、行方不明者25名、負傷者479名。

洞爺丸台風(昭和29年台風第15号)
 この年から、台風の名前は日本名に戻っています。
 洞爺丸台風(とうやまるたいふう)は、昭和29年(1954年)9月26日に来襲した台風です。この台風は九州地方、中国地方を上陸通過し、日本海へ抜けた後に更に発達しながら北上し、函館港沖では洞爺丸事故を、岩内町では3,300戸を焼失させる大火を引き起こすなど、北海道を中心に多数の犠牲者を出した台風です。
 北海道は、あまり台風が来ませんから北海道の台風被害としては、最大の台風でしょう。この台風がもたらした最大の被害は、もちろん洞爺丸の沈没です。本州と北海道を結ぶ青函連絡船洞爺丸の遭難では1,139名の犠牲者が出ました。これは、1912年の北大西洋における「タイタニック号」(1,513人)、1865年のミシシッピ川での「サルタナ号」(1,450人?)の事故に次ぐ大きな海難事故です。

 台風のお話はこれくらいにします。今朝は風も止んでいます。被害に遭った方には、心よりお悔やみ申し上げます。大きな被害のことばかり書いていますが、例え一人でも台風ぐらいで人が死ぬことがあってはなりません。台風は、地震と異なり何時どのくらいの規模で来るのか事前に分かるからです。