takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

こだわりが、良い結果を生むこともあります

 アメリカは、1900年代の初期の頃から車社会でした。しかし、そのため自動車の排気ガスによる大気汚染はより深刻な状況にありました。1970年、通称「マスキー法」と呼ばれる大気浄化法改正法がアメリカの上院議員、エドムンド マスキーの提案により議会へ提出され承認を受けました。

註:日本語訳においては、大気清浄法(たいきせいじょうほう)と訳される場合もあります。

 

マスキー法の骨子部分の内容は以下のようなものです。

 

  • 1975年以降に製造する自動車の排気ガス中の一酸化炭素(CO)、炭化水素(HC)の排出量を1970-1971年型の1/10以下にする。
  • 1976年以降に製造する自動車の排気ガス中の窒素酸化物(NOx)の排出量を1970-1971年型の1/10以下にする。

 

 上記をそれぞれ義務付け、達成しない自動車は期限以降の販売を認めないという内容でした。

 

 これは、当時世界で最も厳しい環境基準であり、車の排ガス中にある一酸化炭素及び炭化水素、窒素酸化物を、それぞれ1970年から5年以内に、1970年のレベルから90%減少させる。つまり、5年間で自動車の排気ガス中の汚染物質濃度を、10分の1にするという厳しい規制でした。それゆえ、アメリカの自動車産業界は「技術的に不可能である」と一斉に反発し、規制値を守ったエンジン開発の目処はまったく立たない状況でした。

 

 当時、ホンダの社長であった本田宗一郎は、開発担当者に了解を得ないまま、1971年2月、「ホンダはマスキー法を満足させるレシプロエンジン開発の目処が立った。1973年から商品化する」という記者会見を行ってしまいます。たしかに、ホンダはこの時点ですでにマスキー法の規制のうち,一酸化炭素と窒素酸化物の値は満たすことができる複合渦流調速燃焼(CompoundVortex Controlled Combustion )「CVCC」と名づけたエンジンの開発見通しはついていました。しかし、炭化水素の値についてはまだまだ満たすことができずにいました。もっと言えば炭化水素の値については見通しも立っていなかったのです。

 

 当時ホンダは、刑事責任こそ問われなかったものの、ユーザーの事故死の原因が商品の欠陥によるとする訴訟を起こされ、社会的な批判を浴びていました。そのため、主力商品の業績が4分のlにまで落ち込んでいたのです。

 

 そこで宗一郎は、マスキー法を満たすようなエンジンの開発に成功すれば、ホンダが再び元気を取り戻し、世界のトップ企業と肩を並べることができるようになると考えたのです。つまり、宗一郎は、技術者としての義務や責任、排ガス汚染とは関係なく、ホンダという企業を危機から救うために、「マスキー法の基準を満たした新しいエンジンの開発」という道を選んだのです。

 

 しかし、実際にCVCCエンジン開発プロジェクトに携わっていた技術者たちを支えたのは、大気汚染問題への取組みがホンダという単なる一企業の問題ではないという「こだわり」でした。連日会社に泊まり込み徹夜もあたり前という過酷な研究開発環境の中で、プロジェクトの成功のために遇進していた社員は、ホンダの大気汚染研究室所属の石津谷彰の言った「子どもたちにきれいな空を残そう」思いに「こだわった」のです。技術者として社会のためにマスキー法を満足するエンジンを開発しなければならいという大義への「こだわり」こそがこのプロジェクトを完遂することを可能にした大きな要因だったのです。

 

 CVCCエンジン開発プロジェクトは、本田自身ではなく、当時39歳の久米是志(後の3代目社長)をリーダーとして行われました。久米は、このプロジェクトを完遂するには、天才的な技術者である本田宗一郎一人に頼るのではなく、各部署で、それぞれの専門について培ってきた社員の力を総合する必要があると考えました。久米も宗一郎を「おやじ」のような存在と心から慕ってはいたのですが、ホンダの将来のために、それまでのやり方を変革する道を選んだのです。こうして若手技術者によるプロジェクト グループを発足させ、それぞれの部署の責任と役割を明示し、目標へ向かつて一丸となって進むという斬新な体制を敷いたのです。その後久米は、プロジェクト完成まで、たとえ宗一郎の反対意見があろうとも、方針を変えることなく突き進みました。

 

 1972年10月、ついにホンダはマスキー法の基準をすべて満たしたCVCCエンジンの全容を発表し、 12月にはアメリカの環境保護庁(EPA)のテストを受けました。 EPAは1973年3月に、正式にホンダのCVCCエンジンがマスキー法に適合したエンジンであると発表し、この発表を受け、ホンダは開発した技術を他のメーカに無料で公開しました。この発表により、世界の自動車業界の排気ガス対策は一気に大きく前進します。

 

「子どもたちにきれいな空を残そう」という願い、技術者の責任感と「こだわり」がイノベーション(技術革新)を起したのです。