takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

魂の作家・ロマン ロラン

 

 ロマン・ロラン(Romain Rolland:1866年~1944年)は、フランスの、理想主義的ヒューマニズム - 平和主義 - 反ファシズムの作家です。戦争反対を世界に叫び続け、フランス国内よりも海外で多くの支持を受けています。

 

 ロランの代表作は「ジャン クリストフ」と言って良いのですが、主人公の自己形成の過程を誕生から死まで,ひとつの強い倫理感を中心に発展させた大長編小説です。フランス語が分からない私にはどうでも良いことですが、ロランの文体はフランス人が読むと耐えがたいほど平板な文体だそうです。ですから、作品そのものも、海外で翻訳文から評価されていました。よく、ロランは、フランス的な作家ではなく世界的な作家だと言われるのはそのような理由があるのかも知れません。しかし、近年フランス国内でも再評価されていると言うことです。

 

 フランス中部、ニエーヴル県のクラムシー出身。父エミールは公証人で、母アントワネット=マリーの家系も公証人であったことから貧しい環境ではありません。7歳からクラムシー中学に通うものの、1880年に一家はパリに転居。翌1881年からサン=ルイ高等中学校に入り、1882年(18歳)にルイ大王高等中学校に転校します。また、このころ音楽とシェイクスピアに傾倒します。その中で特に、ヴァーグナーの弟子であったドイツ婦人に魂をゆさぶる全人的な音楽の意味を教えられています。それが、後の『ベートーベンの生涯』や『ジャン=クリストフ』にも活かされます。

 

 1903年37歳の時に評伝『ベートーヴェンの生涯』を雑誌「半月手帖」に発表し好評を得ます。そのためベートーヴェンの生涯を小説仕立てにした作品『ジャン クリストフ』を1904年から同じ「半月手帖」に連載するのですが、脱稿するまで8年、1912年に完成しました。もっとも、日本の故小林秀雄氏の『本居宣長』だって10年掛けて完成していますから、特別長かったと言う訳ではないと思います。

 

 また、「半月手帖」は、高等師範学校時代の教え子であるシャルル ペギーの個人雑誌だったのですが、『ジャン クリストフ』の人気に支えられて雑誌の命を保ったようです。教え子を助けるためだったのかどうか分かりませんが、ロランはシャルル ペギーに取ってまさに恩人でした。

 

『ジャン クリストフ』は、雑誌連載中から海外でも人気となり各国語に翻訳されています、1906年にはフェミナ賞を受賞しもっとも著名な新進作家になっていました。

 

 第一次大戦(1914~1918年)の開戦前からスイスにいた彼は、大戦中、捕虜調査の事務で奉仕し、精神の硬化を憎む立場から,独仏両国民に排他的な愛国心を捨てるように説く論説『戦いを越えて』を次々に発表しました。しかし、これはあまりに直接的で不器用な題名でした、そのため友人たちからさえ非難され、さらに右翼からは裏切り者呼ばわりされました。すぐれた右翼作家モーラスは、ロランには「敵を正しいとする嫌悪すべき趣味」があると言って批判しています。そのため、開戦前からスイスに住んでいたにも拘わらず、開戦後にスイスに逃れたように宣伝する人さえいたようです。この事情は、1916年ノーベル賞文学賞を受けても変わらず、フランスアカデミーは戦前に賞を与えたにもかかわらず、彼に門を閉ざしました。

 

以下、彼の名言と呼ばれるものを集めました。ユゴーのような青臭さはありませんね。

 

けっして誤ることがないのは、なにごともなさない者だけである。

英雄とは、自分のできることをした人である。ところが、凡人はそのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる。

人生は人間が共同で利用するブドウ畑です。一緒に栽培して、ともに収穫するのです。

恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です。

他人のうしろから行くものは、決して前進しているのではない。

幸福とは、自分の分を知って、それを愛することである。

魂の致命的な敵は、毎日の消耗である。

ピラミッドは頂上から作ることはできない。

万人のうちで最も偉大なのは、万人のために鼓動する心をもった人である。

すべてがなるようになる。ただ人間はそれを愛しさえすればよいのだ。