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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

テネリフェの悲劇・本当はロス ロディオス空港のジャンボ機衝突事故

航空機・船舶の事故

 本来なら、チャレンジャー号爆発とシティコープ タワーの倒壊回避を締めくくるべきなのですが、3月27日の今日だけは、昨年の記事を繰返してテネリフェ空港のジャンボ飛行機衝突事故について記します。なぜなら、この類の事故は繰り返し何度でも発生する可能性のある事故だからです。この事故を一言で言うと「その道のプロである私の判断が正しい」が高じて、「すべてはオレが決める」というワンマンリーダーの過信によって生まれた事故です。

西瓜男さん、コメントまで頂いたのに肩すかしですみません。)

 

 この事故は、37年前の今日、1977年3月27日17時6分(現地時間)、スペイン領カナリア諸島テネリフェ島にあるロス ロデオス空港の滑走路上で2機のボーイング747型機同士が衝突し、乗客乗員のうち合わせて583人が死亡した航空機事故です。空港の名称はテネリフェ空港ではなく、ロス ロディオス空港なのですが、死者数の多さからテネリフェの悲劇(Tenerife Disaster)として呼ばれ、いつのまにか「テネリフェ空港の事故」と呼ばれるようになってしまいました(カナリア諸島は、スペイン領ですが本国からは遠くアフリカの西側、大西洋に浮かぶ7つの島からなるリゾートです)。

 

 この事故は、1件の航空機事故において史上最悪の事故です。ジャンボ機同士の衝突ですからこうなりました。また、2機とも離陸前でしたから燃料は満載です。死者数は、前述の通り583人、生存者は乗客54人と乗員7人です。

 

 衝突したボーイング747型機2機の経路を説明しましょう。

 

 パンアメリカンパンナム)航空1736便は、ロサンゼルス国際空港を離陸し、米国を横断して、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に寄港しています。機体はボーイング747-100型です。乗客380名、乗員16名が乗っていました。

 

 KLMオランダ航空4805便は、オランダからの保養客を乗せたチャーター機で、事故の4時間前にアムステルダムのスキポール国際空港を離陸しています。機体はボーイング747-200B型。

 

 どちらの便も、最終目的地は大西洋のリゾート地であるグラン カナリア島のグラン カナリア空港(ラス パルマス空港)でした。

 

 最終目的地に近づく途中、パンナム機は、グラン カナリア空港(ラス パルマス空港)がカナリア諸島分離独立派組織による爆弾テロ事件と、更に、爆弾が仕掛けられているという予告電話(結局は虚偽だった)のため、臨時閉鎖したと告げられます。パンナム機は空港閉鎖が長くは続かないという情報を得ており、燃料も十分に残っていたため、着陸許可が出るまで旋回待機したいと申し出たものの、他の旅客機と同様に近くのテネリフェ島のロス ロディオス空港にダイバート(代替着陸)するよう指示されました。KLM機も同様の理由でロス ロディオスへのダイバートを指示されます。

 

 テロ事件の影響で、他の飛行機もロス ロディオスへ数多くダイハードしていましたから、ロス ロディオスは混雑しています。なにしろ、1941年開港の古い地方空港であり、1本の滑走路(ランウェイ)と1本の平行誘導路(タクシーウェイ)および何本かの取付誘導路を持つだけの規模で、地上の航空機を監視する地上管制レーダーはありませんでした。

 

 KLM機が着陸した時点で、エプロン(駐機場)のみならず、平行誘導路上にまで他の飛行機が駐機している状態でしたから、管制官はKLM機に平行誘導路端部の離陸待機場所への駐機を命じました。およそ 30 分後に着陸したパンナム機もこの離陸待機場所のKLM機後位に他の3機とともに駐機させられます。さらに、平行誘導路は着陸した飛行機でいっぱいになって塞がっていたため、離陸する飛行機は滑走路の端をタクシングして離陸開始位置まで移動する必要がありました。

 

 KLM機は、滑走路の反対側まで行ってから反転し離陸体勢に入りました。この時、管制官はスペイン語訛りの英語で「OK・・・standby for takeoff ・・・・I will call you」と言ったのですが、濃霧の影響でノイズが多く「OK」以降を聞き取ることができませんでした。封鎖で足止めを食らい、乗務員も疲れていたかもしれません。また、これ以上遅れると連続勤務時間が一六時間を超えることになり、今日中にオランダに帰れなくなる可能性もありました。KLMオランダ航空には、クルーの職務時間の超過に関する規則があったのです。そのため、機長は遅れたフライトを急いで再開しなければならないと考えていた可能性もあります。

 

 結局、KLM機は、離陸を開始します、濃霧のため滑走路の反対側からこちらに向かうパンナム機は見えません。スロットルを上げて離陸しようと走り出したときパンナム機が目の前に現れました。パンナム機は左の誘導路に逃げます、KLM機は上に飛び立って衝突を避けようとします。しかし、どちらも間に合いませんでした。KLM機はパンナム機を飛び越えようとして、高さが足りず天井にぶつかって反対側に落ちます。この衝突事故で583人の命が奪われました。

 

 KLM航空の機長は、パイロットのインストラクターでもあり、コックピットでは絶対の権力がありました。副操縦士も航空機関士もまだ離陸許可が得られていない状態なのに離陸を開始しようとする機長に異議を唱えることができません。命に関わることなのにです。憶測ですが、この機長はいつもシミュレータで訓練を指導していたのですが、そこでは管制官とのやりとりはありません。そのため、すぐに離陸する癖がついていたということも考えられます。

 

 現在では、この事例は個人よりも組織の体質の問題として紹介されています。つまり、権力者の誤判断を諌められないような、コミュニケーション不足のコックピットを放任していた航空会社が悪いと言う見方です。