takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

福島原発事故-19

 寺田寅彦(1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)と言う物理学者兼随筆家をご存知でしょうか。夏目漱石の弟子と言うよりは友人であり、『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルとも言われています。

 

 その寺田寅彦は、1933年に出版した『津浪と人間』の中で以下のようなことを言っています。

 

『自然』は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢寛『自然の記憶の覚え書き』である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。

 

 3年前の東北太平洋地震は、関東から東北の北側までを含む海岸を破壊する津波を発生させました。しかし、三陸地方がたびたび大きな津波に襲われていることは、ちょっと歴史に詳しい人、地元に住んでいる人なら誰でも知っています。

 

 3年前の地震と同じ3月ですが、「昭和三陸地震」は、1933年(昭和8年)3月3日午前2時30分48秒に、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖約 200キロメートルを震源として発生した地震です。この地震でも、岩手県気仙郡綾里村(現・大船渡三陸町の一部)で最大遡上高、海抜28.7メートルの津波が記録されています。夜中の2時30分に発生した地震津波の第一波は30分後に到達していますから、被害は大きなものでした。

 

 この地震による被害は、死者1522名、行方不明者1542名、負傷者1万2053名、家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及んでいます。

 

 特に被害が激しかったのは、岩手県下閉伊郡田老村(現・宮古市の一部)で、人口の42%に当たる763人が亡くなり(当時の村内の人口は1798人)、家屋も98%に当たる358戸が全壊しています。これが、現在の人口だったらもっと被害は大きなものだったでしょう。

 

 さらに、1896年6月15日の明治三陸地震では、地震に伴って、本州における当時の観測史上最高の遡上高、海抜38.2メートルを記録する津波が発生し、東日本大震災に匹敵する被害を発生させています[死者・行方不明者合計:2万1959人(北海道:6人、青森県:343人、岩手県:1万8158人、宮城県:3452人)]。

註:記録では、死者:2万1915人、行方不明者:44人となっていますが、行方不明者が少なすぎます、恐らくもっと多いでしょう。

 

 寺田寅彦の言うとおり、「『自然』は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来」ます。ですから、高さ15~6メートル程度の津波が「想定外でした」などと言うのは大間違いです。仮に、地震津波が想定外の規模でも、原発は安全に冷温停止できるように対策すべきですし、対策できます。