takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

2001年宇宙の旅・便乗

 西瓜男さんが『2001年宇宙の旅』についてブログ上で言及されています、私も便乗してこの映画について書いてみたいと思います。なぜなら、私もこの映画が大好きだからです。

 スタンリー キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』(1968年)は、冒頭のプロローグと言いますか、「人類の夜明け」と題するエピソードの部分が謎と言われています。実は、この映画の冒頭に置かれた「人類の夜明け」と題されるエピソードは、道具が誕生する瞬間を描いたものです。いまから数十万年前のある晩、人類の祖先である猿人たちの「巣」に、いつのまにか大きな黒い石板(モノリス)が現れます。これはどうやら高度な文明を持つ異星人がヒトを進化させるために送り込んだものらしいのですが、もちろん彼らにはそんなことは分かりません。猿人達は、突然現れた異様な物体の周りを取り巻いて警戒の叫びをあげるばかりです。そのうち、一人がおそるおそるモノリスに触ります。しかし、何も起こりません。それで安心した他の猿人たちも次々に触ります。

 次のシーンは、その翌日のようです。猿人の一人が大型動物の骨の前に坐っています。ふと、大腿骨をとりあげてうち下ろしてみます。そのとき、彼に何かがひらめきます。2・3回大腿骨を振り回したあと、やおら動物の頭蓋骨に向けてそれを思い切りうち下ろすと、頭蓋骨は粉々に砕け散ります。

 彼は,自分の破壊衝動を解放した喜びにふるえながら、何度も何度も梶棒を頭蓋骨に叩きこみます。彼は、人類史上(まだ人類とは言えませんが)初めて道具を獲得すると同時に、その場にないものを思い浮かべる能力、つまり想像力も獲得したというわけです。このシーンの音楽には、 リヒァルト シュトラウス(19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したドイツの作曲家)の「ツアラトゥストラはかく語りき」(1896年)が使われています。この曲は、ニーチェが書いた同名の哲学書からインスピレーションを受けて作曲された交響詩です。この本の中でニーチェは、神の救いがなく、進歩もなく同じことが永遠にくりかえす永劫回帰という極限のニヒリズムにも耐えることのできる「超人」という存在に人間が「進化」する過程を描いています。ですから、そのへんのことを知っている観客は、選曲の妙に感心するという寸法です。

 さらに次のシーンでは、道具を得た、彼らのグループは他の猿人のグループと水飲み場をめぐって争いになります。いつもは負けている彼らですが、今回は発見したばかりの梶棒を武器として闘います。素手と、棍棒では素手の方が不利です、敵の一人の頭に梶棒が命中し、敵は倒れます。こうして相手を退散させたあと、最初に梶棒を発明した猿人は梶棒を空高く放りあげます。一種の勝鬨です。真っ青な空に舞い上がった大腿骨がスローモーションでゆっくり落下しはじめると、その骨はパッと宇宙空間に浮かぶ人工衛星に切り替わります。

 宇宙の暗黒をバックに優雅に回転する人工衛星の姿にかぶさるように、こんどはリヒァルト シュトラウスの「ツアラトゥストラ」よりも30年前に作曲されたヨハン シュトラウスによるワルツ「美しく青きドナウ」(1867年)が流れます。これは、数十万年にわたる技術の進歩を一瞬にして観客に思い起こさせるシーンとして有名になったカットです。映像は未来に飛んでいるのに音楽は過去に遡っているあたりがにくい演出ですね。さすが、キューブリック監督です。「シャイニング」も良いのですが、やはり「2001年宇宙の旅」は格別です。