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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

アトミック パワー・解き放たれた力-7

 今年は、最終的に福島の原子力発電事故のことを書きたくて、その前に原子力開発の歴史のことを調べながらこれを書いています。本の資料としては現在以下のもが手元にあります。

この8冊です。

 

 ところで、マンハッタン計画のリーダーとして優れた結果を残したオッペンハイマーですが、彼の抜擢に関しては当初からFBIの大反対があり、スムーズなものではありませんでした。FBIは、オッペンハイマーがスペイン内戦中(1936年7月~1939年3月)に左翼を支持していたこと、共産党員との親交があったことなどを調べ上げ、彼が所長に就任することを阻止しようとしました。さらに、FBIは、オッペンハイマーが1942年にマンハッタン計画に参加し、1953年に公職を剥奪されるまで、ほとんど絶え間なく彼を監視し続けました。この時のFBI長官は、あのジョン エドガー フーヴァー(在任期間・1924年 - 1972年)です。加えて、実際にオッペンハイマーにはスパイ疑惑があったのですが、確証はありませんでした。

 FBIの反対を強引に押し切って、オッペンハイマーマンハッタン計画のリーダーにしたのは、レズリー グローヴスです。ノーベル賞受賞者ではないオッペンハイマーは、グローヴスにとって有名ではない有能な相棒として貴重な存在でした。また、オッペンハイマーは、科学的説明が極めて上手く、グローヴスは彼の説明を聞いていると自分が原子力の素人であることを忘れてしまうほどだったと言います(私もそのような説明をしたいのですが、残念ながら力不足です)。さらに、オッペンハイマーは、ケンブリッジやゲッティンゲンで学んでいますから、世界最高の物理学者とも知り合いでした。それも、グローヴスにとっては心強かったのでしょう(今で言えば人脈です)。

 オッペンハイマーがロスアラモス研究所所長に就任した日付は、公式記録に残っていません。しかし、マンハッタン計画の科学的研究はロスアラモス研究所で行うと決まってからすぐのことです。具体的に言いますと、オッペンハイマーは、1943年3月にロスアラモス研究所に移りますが、この時すでに所長になっていたようです。

 ロスアラモス研究所所長となったオッペンハイマーの最初の仕事は人集めでした。もちろん、陸軍准将だったレズリー グローヴスも軍の権力を使って協力していますが、主だったほとんどの科学者は、オッペンハイマーが直接、あるいは友人を介してロスアラモスへ勧誘しています。その中でも最初の大物は、ハンス ベーテでしょう。ベーテ(1906年7月2日~2005年3月6日)は、ドイツ系ユダヤ人でアメリカ国籍の物理学者です。マンハッタン計画のだいぶ後になりますが、1967年、「原子核反応理論への貢献、特に星の内部におけるエネルギー生成に関する発見」によってノーベル物理学賞を受賞しています。また、有名なリチャード ファインマンの師でもあります。ベーテは、オッペンハイマーがロスアラモスで秘密兵器研究所を開設したとき、理論部門の監督に任命され、オッペンハイマーの右腕として彼を支えました。