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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

アトミック パワー・その黎明期-7

 黎明期の最後は、私が好きなイタリア出身の科学者エンリコ フェルミ(1901年9月29日 ~ 1954年11月28日)に登場してもらいます。フェルミは、放射性元素の発見で1938年のノーベル物理学賞を受賞しています。実験物理学と理論物理学の、双方において世界最高レベルの業績を残した、史上稀に見る物理学者でした。

 フェルミが残した有名な言葉に「実験には二つの結果がある。もし結果が仮説を確認したなら、君は何かを計測したことになる。もし結果が仮説に反していたら、君は何かを発見したことになる」と言うものがあります。この考えがあれば、実験結果がどちらになろうとそこから、考察して新たな知見を生み出せると思いますが、大抵の人にはできないことです。フェルミが言うと納得できるのですが、私が言っても誰も納得してくれません。 フェルミは、1901年イタリア王国ラツィオ州ローマに生まれました。父親は公務員アルベルト フェルミ、母親は小学校教師イダ デガティス、二人に取っては3番目の子供です。

 フェルミ一家は1918年、トスカーナ州の古都ピサに移ります。フェルミはピサ高等師範学校に入校し物理学を学びます。数学・物理学に早熟だったフェルミは非凡な才能を発揮してすぐに教師達を追い越してしまいます。大げさな話ではなく、教師から相対性理論について教えを請われたこともあったということです。1922年には、学位を取得し、1926年には「フェルミ統計」に関する理論を発表して25歳にして世界的な名声を得ています。フェルミ統計は、電子の振る舞いにパウリの排他原理を導入した新しい統計力学ですが、同時期にポール ディラックも同様の結論を導き出していたため、フェルミ統計は「フェルミディラック統計」とも呼ばれています。フェルミ統計の詳しいことはここでは書きません。

 1926年、20代半ばにしてローマ大学の理論物理学教授に就任しています。このローマ大学教授時代に、ニュートリノの存在を導入したベータ崩壊の理論(フェルミベータ崩壊の理論)を完成させました。また、自然に存在する元素に中性子を照射することによって、40種類以上の人工放射性同位元素を生成する実験ににも成功せいてます。さらに、熱中性子を発見し、その性質を明らかにしたのもこの時期です。これらの成果によって、1938年にノーベル物理学賞を受賞します。

 フェルミの妻のラウラ カポーネはユダヤ人でした。そのため、ムッソリーニファシスト政権下では迫害を受けます。フェルミは自身と妻の身を案じて、1938年のノーベル賞授賞式出席のためストックホルムを訪れ、そのままアメリカに亡命します。

 1939年には、コロンビア大学の物理学教授となりますが、この時ドイツで、オットー ハーンが、核分裂の実験に成功したことを知ります。言い換えると、ドイツが核爆弾を製造する可能性が出て来たのです。

 その後は、アメリカでは核分裂反応の研究に従事し、1942年、シカゴ大学で世界最初の原子炉「シカゴ パイル1号(通称CP-1)」を完成させ、原子核分裂の連鎖反応の制御に史上初めて成功しています(原子力発電所ではありませんから発電設備は付属していません)。また、この原子炉は、核分裂の制御ができることの確認を行うための実験炉でしたので、規模は小さいものでした。

 実験が成功したため、CP-1を大型化した最初のプルトニウム生産炉であるハンフォードB炉は1943年9月から建設が始まり、翌1944年9月に運転開始、同年12月28日に臨界に達します。長崎に投下されたプルトニウム型爆弾の原料は、ここで生産されています。フェルミは、アメリカ合衆国原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画でも中心的な役割を演じ、1944年にロスアラモス国立研究所のアドバイザーとなっています(この時まだ、43歳です)。

 フェルミの生涯に関してはこれくらいにしましょう。現在もフェルミの名を有名なものとしているのは、「フェルミ推定」と呼ばれる一種の計算問題です。ご存知の方も多いと思いますが、例を挙げましょう。典型的なフェルミの問題は、「ニューヨーク市には何人ピアノ調律師がいるか?」です(地名はどこでも良いのです)。

 ニューヨークの人口は1,000万人。したがって世帯数は200万人。ピアノを持つ世帯は10件に1件とすると、20万台のピアノがニューヨークにはあることになります。それぞれのピアノは2年に一度調律が必要とすると、1年に10万回の調律があります。調律師は1日に5件調律ができるとすると、1年に200日働くとして、市には100人の調律師が必要となります。10人以下または1,000人以上であることはないでしょう。また、ここで仮定した割合とは少し異なる割合を使っても、結果はたいして変わらないでしょう。

 

 こんな感じです。推定計算とでも言うような計算ですが、フェルミは様々な時と所でこの計算を行い、何時も概ね正解だったそうです。フェルミ推定に関しては「地頭力を鍛える-問題解決に活かすフェルミ推定」-細谷功著・( 東洋経済社刊 )がありますので、ご興味がある方はご覧下さい。マイクロソフト社の入社試験に「富士山をダンプカーで運ぶには何台のダンプが必要か?」等と言う問題もあったそうですが、それもフェルミ推定の応用版です。