takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

『マクベス』、私のナンバーワン悲劇-4

さて、シェイクピアのマクベスにはモデルがいます。いますと言うよりもスコットランド王マクベスは実在の人物です。しかし、その人の史実については、ほとんど知られていません。はっきりしている事は、彼が1040年から1057年までの17年間、スコットランド王であったこと、しかも、その間、武勇の聞こえ高く、信仰心も強く、国王として立派な業績をあげたことくらいなものです。また、シェイクスピアが資料として用いた出典は、ラファエル ホリンシェッドの『年代記』(1587年出版)です。

なるほど、前王であり親戚であったダンカン1世を殺し、後にマルコム3世に復習された事は確かですが、営時としては、日本の中世と同様、下刺上は決して珍しいことではなく、それだけでマクベスを悪人と見なすことはできません。そればかりではありません。むしろ、マクベスの側に正当なな主張があったのです。ダンカン王の叔父マルコム2世は、当時の習慣により親族の強者に王位継承権が移ることを恐れ、孫のためにその強者数名を家族もろもと殺しました。ところが、そのうち1人の女性を見逃してしまった。この女性は、後にマクベスと結婚しますが、先夫との間に一人の息子がありました。マクベスは当時モーレーの領主に過ぎませんでしたが、母方の血の繋りにより、マルコム2世の甥だったとも言はれています。そうでなくとも、彼は妻子の名により、正統な王位を主張しうる立場にあり、逆にダンカンこそ王位を略奪した反逆者だと言うこともできます。また、これも当時としては当然であり、日本史にもその例は幾らもあります。

歴史は、その時代時代の権力者の手によつて書き変えられるのが常です。とすれば、マクベスを倒したマルコムの流れとなる、ステュアート家(バンクォーが祖)の年代史がマクベスを否定するのは当然です。

さて、シェイクスピアはホリンシェッド及びステュアート家の年代史による史実をどう変えているのでしょう。第一に、マクベスの治世17年間を、僅か10週間位に圧縮し、劇的成果を強めています。

第二に、そうする事によつて、略奪者マクベスの非運を強調しています。そのために、ホリンシェッドのうちに僅かに認められるマクベスの正当な王位要求権を抹殺し、同時にダンカンの弱い性格と国王としての弱点を隠し、むしろ名君中の名君として描いています。

第三に、バンクォーの扱い方が史実に較べて曖昧になっています。ホリンシェッドによれば、バンクォーも王位略奪の野心をもっていたのです。そのため、マクベスの陰謀の相談にも乗っています。それは『マクベス』劇の中にもいくぶんか形跡を残していますが、シェイクスピアはバンクォーの子孫であるジェームズ一世の目に配慮して、その点を曖昧にしているだけではなく、むしろバンクォーの忠節、正義感を強調しています。しかし、様々な歴史資料によれば、このバンクォーの性格はそれほど称賛されるようなところはなかったようですし、強い野心家であったようです。

この辺り、もう少し深く調べたいのですが、どうしても英語の資料に当たらなければならず、30年前に英検2級を取ったきり、一度もその技を使わずにいた私の力では時間が掛かりすぎてできません。