takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

シャーロキアン技術士・3

実際に「ホームズ物語」を書いた作者のアーサー コナン ドイルは、1859年5月22日にイギリス北部、スコットランドのエジンバラで生まれています。父親は、チャールズ アルタモント ドイル。エジンバラ市役所に土木技師として勤務する傍ら趣味で油絵を描いていました。さらに、父方の祖父ジョン ドイルは、アイルランド出身で1817年、アイルランドの首都タブリンからロンドンに出て来て、風刺漫画家として成功した人物です。美術と文学の違いはありますが、コナン ドイルの作家としての才能は、父方の遺伝なのかもしれません。

一方、ドイルの回想によれば母親も教育熱心な人でした。ドイルの父親であったチャールズ A ドイルは、市役所に勤務していた若い頃、フォーリー夫人という未亡人の家に下宿していました。夫人にはメアリーという娘がいたのですが、下宿人と大家の娘という良くあるパターンが発展して二人は結婚します。そしてコナン ドイルが生まれたわけです。

メアリーは、子供であるドイルの教育に非常に熱心な母親でした。メアリーは、自分の祖先が、イギリスを制服したフランスのプランタジネット王家に繋がる名門であることや、母方の大叔父がワーテルローの戦いで活躍したパック将軍であることを自慢にしていた誇り高き女性だったのです。幼きドイルは、輝かしい活躍をした祖先の昔話や、中世の騎士物語、英雄伝説などを繰返し聴かされながら育ちます。ドイルは後に、自分が歴史や文学に興味を持ったのは、クライマックスにさしかかると、ぐっと声を落として恐怖に打たれたように囁く母親の話術に引き込まれた影響が大きいと述懐しています。

メアリーはまた、ドイルが近所の子供達とケンカをして負けて帰ってくると、叱り飛ばし勝つまで帰ってくるなともう一度ケンカに行かせました。ケンカに勝って帰ってくるとどんなに泥んこになって帰って来ても褒めたと言うことです。現代ならビックリの母親です。

ドイルは、本を読む楽しさも母親から教わります。図書館の使い方を母から教わり、図書館にあった冒険小説や歴史小説を片っ端から読みあさっていたらしいのですが、一日に何度も借りては返すを繰り返して図書館の職員に注意されるほどだったと言います。こうして、芸術家の血を父方から受け継ぎ、母親から厳しい教育を受け、シャーロック ホームズの生みの親としてドイルの下地は出来上がります。