読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

鍛冶屋の親分と熟練の旋盤工

科学技術

ちきりんさんが、面白いことを書いている。と言っても、彼女または、彼のブログは何時も面白いが、今回は私にも関係があることなので触れておきたい(ちきりんさんの性別が分らないので彼女または彼と書いた、どこかに性別が分る記述があるのなら、ごめんなさい)。

 

ちきりんさんは、こう語っている。

 

たとえば鉄の加工に関しても、“一流の職人としての鍛冶屋”と、“プロの技を誇る旋盤加工の熟練工”って、必ずしも同一人物ではないはずです。

今は、大田区や東大阪に「世界が認める旋盤熟練工」みたいな人がいますが、そういう人たちだって、江戸時代の鍛冶屋の親分に言わせれば、「機械なんか使いやがって・・」的な位置づけなわけでしょ。

でも今や、熟練の旋盤工の技にたいして、「機械なんか使ったら実力とは言えないよね」などと言う人はいないわけです。ってことは、将来的には将棋においても、もちろんそれ以外の分野においても、「機械(&コンピュータ)を使いこなす技が一流だということで、匠と認められる一流プレーヤー」が登場しても全く不思議じゃありません。

鍛冶屋のチャンピオンも、旋盤技術のチャンピオンも、一流の人はどっちも匠と呼ばれるわけです。

 

 

確かに鍛冶屋と旋盤工では作業が全く異なる。しかし、生産に携わる人間は元々少しでも効率よく作業を進めようと道具に工夫を凝らし、昔は自ら道具を作って生産活動を行っていた。その最も高効率な進化した道具が、現在の数値制御で動く工作機械である(もちろん、これからも進化はする)。鍛冶屋の親分も大将も、江戸時代にNC旋盤やマシニングセンタがあれば使っていたはずだし、作れるものなら自分で作りたかったはずである。良い道具を自ら発案して使用することが職人のステータスなのだ。そのため、「機械なんか使いやがって・・」と言う親分は昔も今もいないと思う。

また、マンモスを殺して食べていた初期のホモ・サピエンスも、効率良く、自らは安全にマンモスを倒すために石器を研磨し、良く刺さる槍や銛を作っていた。そこで、「いや、俺は素手で倒す」と叫んだ親分もリーダーもいなかったはずである。

 

つまり、現在の生産現場では、「機械(&コンピュータ)を使いこなす技が一流だということで、匠と認められる一流プレーヤー」は大勢いる。いや、大勢いると言うよりも、設計者であればT型定規がドラフタに変わった時は、ドラフタを上手に使える人が匠な設計者だった。さらに、ドラフタが2次元CADに変り、CADを使えなければ設計者とは呼ばれなくなったのは20年程度前である。それが今では、3次元CADに進化しての2次元CADを使っていると「まだ、3次元CADを使っていないのですか?」と怪訝な顔をされてしまう。

加えて、品質管理であれば統計処理ソフトを使用する。これも、30年前は、数万円の関数電卓で計算しながら「イヤー、便利になったね」等と言っていたはずである。今でも電卓を叩いて統計計算をすることは不可能ではない。しかし、それを行ったところで怒られることはあっても褒められることはない。生産活動は、昔も今も、道具を上手く使える人が名人なのだ。

 

では、将棋やチェス等のゲームはどうか。これは、ゲームであるがゆえに効率良く勝つことが目的ではない。そのため、コンピュータに支援されて勝ってもそれを認める人は多くはないと思う。感覚的には、素手で戦う格闘技で武器を使うのに近いと思う。あるいは、ウサイン・セント・レオ・ボルトと私が100メートル競争する時に、私が車に乗って走るのと同じではないだろうか。自動車に乗って走って、ボルトに勝っても誰も私をチャンピオンだとは認めないと思う。

 

 

続けてちきりんさんは、こう語る。

「アマチュア有段者 with コンピュータソフト」 vs. 「プロ棋士チーム」とか、

「惜しくもプロ昇格を逃した元奨励会会員 with コンピュータソフト」 vs. 「プロ棋士チーム」

女流棋士 with コンピュータソフト」 vs. 「(男性)プロ棋士チーム」などなど

いろいろやってみたらおもしろそーじゃん!?

てか、これなら何年でも楽しめそうだから関係者みなさんにメリットがあるのでは?

などと、あんまりおちゃらけてると各方面から怒られそうのでこの辺でやめますけど、まあとにかくスゴクおもしろいなと思いました。

 

 

これは、部外者から見ればまさにその通り面白いと思う。私なら、これに加えて、今よりもう少し進歩した「パワースーツを着た人間と猛獣の戦い」なんて言うのも見たいと思う(現在のパワースーツでは絶対に無理、危険すぎる)。

話しを戻す、将棋の場合は、それを職業としている棋士はそう思わないのではないか。そうでなければ、対局中は正座を崩してはいけないと考える棋士が多いことの説明がつかない。彼、彼女らにとって将棋はゲーム以上のものなのだ。見ている人を楽しませることが、第一の目的になっていない。

しかし、今後、エンターテーメントとして将棋界がそのような対決を取り入れて行く可能性もあると思うし、そうであっても良いと思う(見る人は)。それは、それで十分楽しいと思う。ただ、常に効率を優先する製造業と異なるゲーム、特に知的ゲームの世界ではコンピュータの支援を受け入れられない人も多いだろう。