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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

浄瑠璃作家・鷲見房子

隙間時間を使って書いていたが、何とか書き終えた。今回は文学のお話し。

 

鷲見房子さんと言っても今では、知る人もあまりいないと思う。インターネットで調べたが、お亡くなりになった年を調べられなかった。100歳近いご年齢で10年くらい前に亡くなられたはずだ。

鷲見房子さんは現代の一流浄瑠璃作者だった。『水映縁友綱』『費暦治水話』『鉢かづき』『細香』『不家物語』はいずれも藝術院會員野澤喜左衛門が作曲したものである。

その他、『炎』『屍』『道成寺給俗』『鷹』等、野澤勝太郎が作曲し、長唄『春のあけぼの』は杵屋六左衛門が、『阿須佐』は、今藤長十郎が作曲している。『友綱』は吉村雄輝振附で竹本つばめ太夫が踊っており、『鉢かづき』は西川鯉二郎が振附し中村易雀、西川左近と共に踊っている。どの方も、人間国宝、あるいはそれに準ずる評価を受けた藝人である。と、言っても浄瑠璃に興味のない人には分らないかもしれない。私は、母の影響で人形浄瑠璃を子供の頃に見せられた。

話しを戻そう。その鷲見房子さんの本に、「浄瑠璃妻」という一種の随筆がありそれが大変良くできた、加えて上品な作品なのでここで紹介した。

 

浄瑠璃妻」は、全260頁、およそ50の小題が付けられた短編の随筆が纏められた本である。その中で、私が一番感動したのは「雪三題」と言う随筆の末尾に出てくる鷲見さんの和歌の師匠神保保郎氏の話である。

太平洋戦争の始まる数年前のある日、自宅での茶会に先生を招いた鷲見さんは、師匠にお出しする茶碗を十日前に師匠ご本人から頂戴した牟筒の黒織部と決めた、その箱書には「常陸帯」とあった。

前日から降り続いた大雪の中を八十歳の神保氏は東京の郊外から二度も電車を乗換えて訪ねて来た。

茶が点てられた後の情景を鷲見さんは、こう書く。

 

「ああ 結構なお服合いでした」

三口ばかりにのみおわれた後も、なお両手で茶碗を撫でて、胴を巡る自く描かれた七宝の模様を眺めておられる。やがて「わしはね、この七宝が帯のように胴を巡っているので『常陸帯』と銘をつけたが、判っているかね」

といわれた。

「ご了見が若い、若い」と、芝居の台辞ではないが、私の失策はここから始まったのである。

 

お茶碗を頂いたときから「常陸帯」という銘は気になっていた。古い唄にもたびたび出て来るけれど、未だ調べたことはなかったので、早速図書館へ出かけて、文献をあさり、一応は頭に入れたばかりであった。

一月十四日、鹿島神官のお祭りに男女が意中の人の名とえとを自布に書きしるし神前に供え、祠宜がそれを結び合せて縁を定めた帯占の事であること。

 

あづま路のみちのはてなる常陸帯

      餃具(かこ)とばかりも合はむとぞ思ふ

 

との古歌のこと、餃具とは革帯の端につけた止め金であることなど、洩れなく一気に答えて得意気であった。

先さまは一つ一つ頷きながら聞いておられたが、「ああ、よくご存知だった。私は満足してこの茶碗をここへおくことが出来る。しかし、私が今日来たのはその話を私の口から教えたかつたからだよ。今のご時世に私の学問を喜んで聞いてくれるものはいないからね」と肩をおとして淋しそうなお顔であった。

折角のお楽しみを、私は心なくも奪ったことに気がついて、恥づかしさに堪えられず、建水を持って席を立った。

辞書をひけば常陸帯の解説はある。しかしそれは先生の常陸帯ではない。大切な宝を落したと同じである。

 

 

ここで、恥ずかしさを感じられる心が文学的だと思う。何でも、調べて知識を得て得意になって「俺は知ってるよ」と自慢する人には理解しがたい心の働きだと思う。

私は、文学関係の本を読まなくなって久しいが、日本なら漱石、鷗外、龍之介を、海外ならシェイクスピアロマン・ロランチェーホフ等を死ぬ前にもう一度読みたいと思う。