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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

函館と北海道について考える-13

13-西洋料理

この「西洋料理」と言う言葉自体、今ではあまり使われていないような気がする。世界三大料理と言えば「フランス料理、中華料理、トルコ料理」だが、いずれにしても調理のジャンルは個別の国名や地方の名前で呼ばれるのが普通になっている。西洋料理店では、絞り込みができておらず、客が何の店なのか分らないと言うことなのだろう。しかし、明治時代に外国の料理を食べさせる店は、中華料理を除けば全て西洋料理というジャンルで看板を上げていたようである。

函館は、古くから外国人が市内に移り住んでいた町だったから西洋料理の店も古くから営業していた。そして、その中の1軒「函館-五島軒」は、今でも営業している数少ない西洋料理のお店である(もしかしたら、現存する唯一の店かもしれないが、調べきれなかった)。

その130年の歴史を掻い摘まんで紹介する。

明治11年(1878年
五島軒初代若山惣太郎が函館に。この年、二代徳次郎が東京で出生。

明治12年(1879年)4月
初代若山惣太郎が富岡町でパン屋を開業。
長崎県五島列島の五島英吉(初代料理長)の協力を得て、旧桟橋付近でロシア料理、パン、ケーキの店を開業、店の名前は「レストラン五島軒」。店の屋号である、「五島軒」は、料理長だった五島の名に由来する。

明治19年(1886年)4月
店舗焼失。旧八幡坂下(末広町15)に西洋料理店を開店。
新店舗が繁盛し「客室取り広げの披露」の広告。

明治33年(1900年)
財団法人函館競馬会認可、場内食堂を開業。

明治34年(1901年)4月
二代目若山徳次郎基坂下末広町1番地、日本銀行隣接地に3階西洋料理店を新築移転(撞球場併設:撞球とはビリヤードのこと)。
二代目若山徳次郎、東京・帝国ホテルへ修行のため出張。

明治40年(1907年)8月
函館大火で全焼。末広町の現在地に、新店舗を新築移転。
例えばこの年、4月1日に、寿屋(サントリー)が赤玉ポートワイン(赤玉スイートワイン)を発売している。

大正6年(1917年)4月
初代惣太郎が亡くなり、長男徳次郎が相続。
3月15日(ロシア暦3月2日)、ロシア革命があり、国会臨時委員会が臨時政府を樹立。ニコライ2世が皇帝を退位(ロマノフ朝滅亡)。函館には、ロシア人も多かったためそれなりに騒ぎがあったらしい。

大正10年(1921年)4月
函館大火で全焼。旧桟橋のビルおよび焼け跡に仮店舗で営業。

大正11年(1922年)
現在地に一部鉄筋コンクリート、地下1階、地上3階の店舗を新築。
2階の一部と3階でホテル業を併業。

昭和9年(1934年)3月
函館大火で本店全焼。3ヶ月後市内3ヶ所で仮店舗を設け営業。小樽支店を閉鎖。

昭和13年(1938年)4月
三代目 若山徳次郎二代目徳次郎急逝。長男(勇)徳次郎を襲名し三代目となる。

昭和63年(1988年)7月
青函博覧会会場に「キリンビア・レストラン五島軒」として出店。

平成元年(1989年)10月
メモリアルリッチ鴨カレーコース天皇・皇后両陛下、五島軒へ行幸啓御昼食に二代目徳次郎のメニュー、「リッチ鴨カレー」をお召し上がりいただく。

平成14年(2002年)9月

本店・本館(国登録有形文化財隣接家からの出火により罹災

 

歴史を見ていて「何て火事の多い店だろう」と思った、130年で5回も罹災している。26年で1回の間隔である。

さて、五島軒がカレーで有名なのは、函館に住んでいた頃から知っていたが一度も行ったことはなかった。そのため、今回最終日の昼食に食べてみることにした。飛行機の時間は、14時15分発、店に入った時間は11時30分である。空港まではタクシーで30分で行ける。

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紙でできた、こんな感じのテーブル敷。

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最初に、福神漬けや紅ショウガなどが出てきて「やはり、カレー屋なんだ」と思った。

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注文したものは、明治の洋食&カレーセット、2100円と瓶ビール1本、グラスワインを1杯。

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 右手前は、ビーフシチューとエビフライ、コロッケ等。カレーとシチューのセットと言うのも珍しい?カレーの辛さは中辛程度。

約1時間半で食べ終わり、そのまま空港へ向かった。