読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

函館と北海道について考える-1

 

1-北海道の概略

1-1-基礎データ

北海道の面積:83,457 平方キロメートル(北方領土を含む)

日本の面積は、377,914 平方キロメートルだから、面積比で22%を占める。

私の住む埼玉は、3,798 平方キロメートル、つまり北海道の22分の1。

さらに、九州と四国を合せても、55,051平方キロメートルであり、北海道より小さい。

 

北海道の人口:545 万人(2013年6月現在)

日本の人口は、12,653 万人(2012年の統計)だから、人口比では4.3%である。

これが、埼玉だと、722 万人(2012年の統計)、北海道の約1.3倍。

 

上記から、人口密度を求めると

北海道:65.3人 / 平方キロメートル

日本:337人 / 平方キロメートル

埼玉:1,900人 / 平方キロメートル

 

1-2-歴史的変遷

縄文時代8,000~9,000年前の縄文遺跡(縄文時代初期)が、渡島地方の南茅部で発見されている、見つかっているものは、土器、たて穴住居など。

また、3,000~4,000年前の墓と考えられているストーンサークルも北海道の全域で見つかっている。この頃、つまり縄文時代は、今よりも暖かかった。

 

弥生時代:中国やシベリアの発達した鉄文化が日本に入り、それが北海道にも伝わった。先住民族であるアイヌは北海道全域に住み、魚や獣を捕る狩猟生活を行っている。

 

飛鳥・奈良・平安時代:3世紀から13世紀までオホーツク文化が栄えている。これは、オホーツク海沿岸を中心とする北海道北海岸、樺太、南千島の沿海部に栄えた古代文化のこと。この文化の遺跡が主としてオホーツク海の沿岸に分布していることから名付けられた。

海獣(アザラシ(アシカ、オットセイ、トド))狩猟や漁労を中心とする生活を送っていたオホーツク文化の担い手を、オホーツク文化人、また単にオホーツク人とも呼ぶ。

オホーツク人は海に依存して暮らしており、北海道北部と樺太では漁業、北海道東部では海獣狩猟が重点になっていた。これは、流氷の影響を受ける道東が冬の漁業に適していなかったためと考えられている。また、遺物に描かれた絵や船の土製の模型から、オホーツク人が舟を操り、捕鯨を行っていたこともわかっている。加えて、これらの資料は、北海道網走市にある北海道立北方民族博物館に詳しく残っている。

 

飛んで江戸時代末

 

間宮林蔵 (1775~1844年)が、1799年から幕府の命で蝦夷地に20年以上も滞在し、蝦夷地、千島、樺太の測量にあたっている。幕府はロシアの南下に対し領土の保全に躍起になっていたからである。当時は、蝦夷地の大部分は未踏の地、樺太の北が大陸か島なのかさえ定かではなかった。林蔵は、1809年、樺太の北端に海峡を発見した。この海峡が、後に間宮海峡と命名されている(世界地図で日本人の名前が付いている地名は間宮海峡だけだと思う)。 

間宮林蔵伊能忠敬を師と仰ぐ、幕府きっての測量技師だった。しかし、当時まだ満足な測量機器は存在せず、徒歩3歩で1間、星を見て誤差を修正し驚くほど正確な地図を作成している。最終的には、伊能忠敬が完成させた日本地図だが、蝦夷以北の地図は伊能忠敬の測量図と間宮林蔵の測量図を合体させたものになったらしい。

間宮林蔵に関しては、吉村昭氏の「間宮林蔵」-講談社が面白い。

 

以下は、2009年2月4日の朝日新聞記事

 

消えた北方民族の謎追う 古代「オホーツク人」北大が調査

 

 古代の北海道北部に広がった「オホーツク文化」のことは、一般にほとんど知られていない。海岸近くに住居を構え、魚や海獣を捕らえ、犬や豚を飼った人々が、こつぜんと消えた。どんな人たちだったのか。そのナゾに遺伝子から迫る初の研究が、先ごろ北海道大でまとまった。オホーツク海周辺で人間が活発に動いたことを跡付けるもので、歴史書に記録の乏しい北方世界の新しい姿が浮かび上がる。

 オホーツク文化はサハリン起源と考えられ、古墳時代にあたる5世紀ごろ北海道に南下し、まず北部に広がった。次第に東部から千島列島まで展開するが、10世紀ごろ姿を消す。日本書紀に見える北方民族の「粛慎(あしはせ)」では、との見方もあるが、考古学・歴史学民族学などの研究者が解明を試み、サハリンやシベリア、北方の島々の少数民族の名が様々にあがって、決め手はなかった。

 

■人骨の遺伝子分解

 

 北大総合博物館にある、オホーツク文化の遺跡で見つかった人骨78体を、増田隆一准教授(分子系統学)と大学院生の佐藤丈寛さんが調べ、37体からDNAの抽出に成功。ミトコンドリア遺伝子の塩基配列の特徴を分析し、オホーツク人は、今はサハリン北部やシベリアのアムール川河口一帯に住むニブフの人たちに最も近く、同川の下流域に住むウリチと祖先を共有するという結論を導いた。ともに人口数千人の少数民族だ。

 オホーツク人が注目されるのは、ミステリアスであるうえに、アイヌ民族形成のヒントが潜むとみられるからだ。

 弥生文化の時期にも稲作が普及しなかった北海道では、縄文→続縄文→擦文(さつもん)と独自の文化が展開した。アイヌはその流れをくむと考えられてきたが、縄文の系統には無い文化の要素も持つ。代表例は熊を使う儀式で、同じような習俗がオホーツク文化にもあったことが確認されている。

 増田准教授らはオホーツク人のなかに、縄文系には無いがアイヌが持つ遺伝子のタイプを確認した。北大の天野哲也教授(考古学)は「アイヌは縄文人の単純な子孫ではなく、複雑な過程を経て誕生したことが明らかになった」と、分析結果を評価する。

 では、オホーツク人に近いというニブフは、どんな民族なのか。札幌学院大の白石英才准教授(言語学)によると、ニブフ語は、近隣に似た構造の言語が見あたらない「孤立語」で、ニブフは系統不明の民族。帆を持つ舟を操り、漁労主体の生活だったようだが、近年はロシア化が進んで文化の独自性があいまいになっているという。

 今回の分析には、また、「弥生人の渡来など、日本列島へは移民の波が何度かあったが、オホーツク人の南下は、その最新のものだとわかる」(国立遺伝学研究所の斎藤成也教授=分子人類学)という意味もある。ただ、彼らが海を渡った理由の解明は、まだこれからのようだ。

 

総務省の国勢データ、 北方民族博物館で貰った資料、他を参考にしている。