takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

核融合の難しさ

7月15日は、特に何にもないようなので再び核融合について触れる。

少し迂回した話になるが、まだ、国鉄と呼ばれていた時代から開発している(1974年から)JR東海リニア中央新幹線は14年後の平成39年(2027年)に東京-名古屋間が開通し営業運転を開始するらしい。東京-大阪間が開通するのは、その18年後平成57年(2045年)である。現在50歳の私は、名古屋はともかく大阪までリニア新幹線で行くことはできないと思う。地上に施設されたレールの上を時速500キロで安全に走るには、50年の月日を要するという一例である。

 

一方、核エネルギーの利用に関しては、1945年8月に広島と長崎で実験が行われ多くの人(一般の)を犠牲にしながら得られるエネルギーの凄まじさを知った。なにしろ、6年後の1951年には、アメリカ合衆国高速増殖炉EBR-Iで、試験運転が開始されている。ただし、この時に発電された電力は1kW弱、200W白熱電球4個を光らせただけ。

 

その後は、1953年12月8日、アメリカ合衆国大統領、ドワイト・D・アイゼンハワーが国連総会で行った原子力平和利用に関する提案「Atoms for Peace」(平和のための原子力)が原子力利用の起点なった。これは、核エネルギーの力を戦争兵器だけに使用するのではなく、原子力発電という平和利用に向けるという大きな政策転換であった。アメリカではこの政策転換を受け、1954年に原子力エネルギー法が修正され、アメリカ原子力委員会 が原子力開発の推進と規制の両方を担当することとなったのである。

加えて、1954年6月27日、ソビエト連邦は、オブニンスク原子力発電所で、実用としては世界初の原子力発電所として発電を開始し5 MW(メガワット)の発電を行っている。

さらに、1956年に世界最初の商用原子力発電所としてイギリスセラフィールドのコールダーホール原子力発電所が完成した、その出力は50 MW(メガワット)である。また、アメリカでの最初の商用原子力発電所は、1957年12月にペンシルベニアに完成したシッピングポート原子力発電所である。

原子力発電初期のキャッチフレーズは、「Too cheap To meter」であった。これは、「原子力発電で作った電気はあまりに安すぎるので、計量する必要がないほどだ」、という意味である。つまり、当時、原子力発電はそれだけ安く大量に電気を供給できると期待されていたのである。しかし現実はそうではなかった。バックアップ装置の増設等により、建設費が高騰し、原子力発電は他の発電に比べて設備費の割合が非常に大きいため、建設費が高騰するとその影響がより大きくなってしまった。

日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年10月26日で、東海村に建設された実験炉であるJPDRが初発電を行った。これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている。

ここまでは、核分裂反応の利用である。上手く行くものは、概ねこのくらいのスピードで発達するものなのである。

 

やっと本題の核融合だが、この技術に関しても1958年に「核融合懇談会」なるものが日本でも開催されている。ノーベル賞を受賞した、故湯川秀樹博士や故朝永振一郎博士も参加している。つまり、50年以上前から研究は続けられているのだ。しかし、実用化の目処は全く立っていない。研究者の間では、「2050年頃には実用化できる」、「いやもっと早く2030年頃には成功する」と言われている(この言い方も、実験が成功する時期なのか、商用炉が完成する時期なのかはっきりしない)。しかし、1980年頃も同じように言われていた。当時の経済雑誌を見ると、2010年頃核融合発電が営業を開始するだろうと予測している人が多い。要するに、常に30年後なのだ。そもそも、原子炉内を構成する材料の目処さえ立っていないのに、どうやって作るつもりなのであろうか。もちろん、積極的に核融合反応を続けなければ原子の火は消えてしまうから、安全面では核分裂反応よりずっと良いだろう。しかし、肝心のエネルギーを取り出すことができないのであれば、何をやっているのか分らなくなる。

 

「やった、核融合反応が始まりました!」

「出力は安定しているか?」

「はい、すでにゼロになっています」

「そうか、それなら安全だ」

 

では、落語にも漫才にもならない。

 

私は、決して核融合発電を馬鹿にしているのではない。それよりも、上手く行くものなら少しでも早く成功させて、エネルギー問題を一機に解決して欲しいと考えている。しかし、上手く行っていないものを「あと、〇年で成功する」と言ってダラダラ続けるのは如何なものかと思う。地震予知と核融合は周辺技術がもっと発達してから、個人的には70年~100年後ぐらいから再開しても遅くないのではないかと思う。