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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

2度目が拙かった、雪印集団食中毒事件

工場・施設の事故

2000年(平成12年)06月27日、雪印乳業(株)大阪工場製造の「低脂肪乳」等を飲んだ関西地方の一般消費者で食中毒が発生した。報告があった有症者数は14,780名に達した。さらに食中毒発生後、社告の掲載、記者発表、製品の自主回収などが遅れ、食中毒の被害が関西一円に拡大し、近年、例を見ない大規模食中毒事件となった。

 

経過

第一段階

3月31日 雪印乳業大樹工場で午前11時から約3時間停電が発生した。これにより、通常なら数分間で終わるクリーム分離工程で、脱脂乳が20-30度に加熱された状態で約4時間滞留した。 また余った脱脂乳をためておく濃縮工程の回収乳タンクでも、停電により9時間以上冷却されずに放置された。このため黄色ブドウ球菌が増殖、毒素のエンテロトキシンAが大量に生成された。

 

第二段階

4月1日 本来ならパイプ内に滞留した原料は廃棄すべきだったが、殺菌装置にかけ黄色ブドウ球菌を死滅させることで安全と判断、脱脂粉乳を製造した。脱脂粉乳は830袋が製造された。このうち450袋は黄色ブドウ球菌、大腸菌、一般細菌などの検査で異常が認められなかったため出荷された(450袋のうち112袋が乳製品として使用され、のこりは倉庫に入った)。380袋は、一般細菌類が同社の自社規制値(1グラム当たり9900個)を1割強超過しており、本来なら製品にできないものであるにもかかわらず、現場の衛生管理の知識が徹底していなかったため、4月10日に製造した脱脂粉乳の原料として再利用した。大樹工場ではこれを原料に4月10日には750袋を製造・出荷し、このうち大阪工場が278袋使用している。

 

第三段階

6月20日 雪印大阪工場が大樹工場製の脱脂粉乳を入荷。

6月23日 大阪工場が被害の原因となった乳製品を製造(~28日)。

6月27日 雪印乳業大阪工場製の低脂肪乳で食中毒症状を起こしたとの最初の報告が大阪市と雪印に入る。翌28日にかけて発症者の届け出が拡大した。

大阪市は、有症者の調査、大阪工場の立入検査等を実施した。

6月28日、大阪市は当該工場製造の「低脂肪乳」について、製造自粛、回収、事実の公表を指導。

6月29日に雪印乳業が会見し本事件の発生を公表。

6月30日に大阪市は回収を命令した。この間も多数の患者が発生し、近隣府県市に及んだ。

7月2日、大阪府立公衆衛生研究所が「低脂肪乳」から黄色ブドウ球菌のエンテロトキシンA型を検出した。大阪市はこれを病因物質とする食中毒と断定し、大阪工場を営業禁止とした。また大阪府警が業務上過失傷害の疑いで捜査を開始。5日 被害者が1万人を超える。6日 雪印乳業の石川哲郎社長(当時)が引責辞任を表明。

7月10日、大阪市は、有症者の調査、大阪工場への立入検査等の結果に基づき、中間報告をとりまとめ、公表した。報告があった有症者数は14,780名に達した。

7月11日 雪印が全国21工場の市乳生産を停止。

7月25日、厚生省が京都、神戸など10工場の操業再開認める。8月2日、厚生相が直営20工場に安全宣言。

 

 原因

1.直接原因

大樹工場の停電

停電により製造ラインが止まったが、その対応ができず、回収乳の加温状態が長引いて黄色ブドウ球菌が増殖、エンテロトキシンA型毒素が発生した。この毒素に汚染された乳材料から乳製品が製造され、食中毒が起こった。

 

2.主原因(組織的原因)

(1) 停電により製造ラインが止まったが、その対応ができず菌増殖、毒素が発生した乳材料が、本来廃棄処分すべきが、製造に回された。

  • 現場の衛生管理の知識が徹底していなかった。
  • 現場の危機管理意識の欠如 停電時マニュアルなし。

停電などで製造工程が止まった際の菌の増殖防止や、工場の再稼動手順や製品検査、廃棄基準等を決めたマニュアルは作成されていなかった。

(2) 製造された脱脂粉乳の細菌数が同社の安全基準を上回り、本来廃棄処分すべきにもかかわらず「加熱殺菌すれば安全」と判断し、細菌数が規格を上回った製品を原料に再利用し、新たに脱脂粉乳を製造、大阪工場に出荷した。

  • 工場長をはじめ従業員はエンテロトキシンに関して熟知していなかったばかりか、「細菌から発生する毒素は加熱しても毒性を失わない」という基礎知識が欠落していた。職場は食品衛生の基本的な認識が薄らいでいた。
  • 社内基準が遵守されなかった。基準マニュアルは作っただけ、形骸化している。

 

3.食中毒の被害が拡大原因(組織的原因)

食中毒が発生した後に製品の自主回収、社告の掲載、記者発表などが遅れ、食中毒の被害が拡大した。

  • 最初のミスは、被害の兆候を「通常の苦情、問い合わせ」と判断したこと、集団食中毒に発展するという意識は全くなかった。
  • ブランドが傷付くことを恐れ、漫然と時を過ごした経営トップの危機管理の甘さ、回収、社告の掲載、記者発表等対処の決断の遅れ。トップが決定に関与しない。経営トップの責任体制、リーダーシップの欠如。
  • 責任逃れからくる事実の隠ぺい、情報伝達の不手際。

 

//// ここまでは、失敗知識データベースから省略・加筆して転載した。

 

雪印乳業は北海道の名門企業だった。1925年(大正14年)創業の老舗会社であり、乳食品ではシェア1位、グループ企業の連結決算では売上1兆円の会社である。

そんな会社が、被害者数14,000人の集団食中毒事故を発生させ、その後さらに子会社による食肉偽装事件があり、あえなく消滅してしまった。

現在は、雪印メグミルクとなり連結売上も5,000億円と半分の企業に変った。

雪印は、上記集団食中毒を発生させた45年前、1955年昭和30年にもほぼ同じ原因から食中毒を発生させている。1955年3月1日、東京の学校給食に供された国産脱脂粉乳により、小学生1,936人が食中毒の症状を呈した。小学生の給食の共通性から、真っ先に脱脂粉乳が疑われたが、翌3月2日、製造元の雪印乳業が因果関係を否定する会見を行った。しかし、3月3日 東京都が脱脂粉乳から溶血性ブドウ球菌を検出。雪印乳業は、直ちに自社製品の落ち度を認め、製品回収とともに謝罪広告の掲載や謝罪訪問を開始したというものでありる。

この時の原因も、工場の停電によって原乳が加温された状態となり、溶血性ブドウ球菌が大量に増殖したと考えられている。また、前日の原料乳が使い回されるといった杜撰な製品管理もあったようだ。

ただし、この時は、原因が特定された後、即座に謝罪と製品回収、謝罪広告の掲載、被害者への謝罪訪問など先手先手で対応措置を展開している。リスクマネジメントの点では、当時の水準を上回る措置であった。そのため、企業イメージへの打撃を最小限度に押さえたばかりか、長期的に見れば企業イメージ向上にすら繋がったと言われている。

当時の雪印社長であった佐藤貢は、「全社員に告ぐ」という文章を作り、安全な製品を消費者に提供することこそが雪印の社会的責任であることを訴え続けた。

しかし、45年経つと忘れ去れてしまうのである。「全社員に告ぐ」は、昭和の終わり頃まで引き継がれ、社内で告示されていたらしい。

それにしても、総合衛生管理製造過程(HACCPが要件、厚生労働省が審査/承認)承認工場となるために、厚さ7~8センチのマニュアルを作成しながら、その中には「停電などで製造工程が止まった際の菌の増殖防止や、工場の再稼動手順や製品検査、廃棄基準等を決めたマニュアルは作成されていなかった」と言うのは、なぜなのだろう。食品の製造は、工程管理が品質の90%を決める。裏マニュアルがあったと言う話しは聴いていないから、審査を経たマニュアルだと思う、厚労省も何を審査したのだろう。

食品工場の製品品質は、「絶対安全」でなければならない。それを守ることができない会社は消滅してしまう。食品の製造に携わる人は、この事件(事故)を忘れないで欲しい。