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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

110年前の大規模災害・西インド諸島プレー山の噴火

1902年(明治35年)5月8日、西インド諸島にあるプレー山(フランス領)で火山爆発が発生し火砕流によってサン・ピエールの住民3万人弱が死亡した。

 

不吉な火山活動

プレー山では、1年近く前から火山活動が確認されていた。さらに、1902年4月25日、プレー山は噴火活動を開始し、4月27日には山頂に直径180mの火口湖が形成され、噴出物が15mの高さに積もった。火口湖からは沸騰するような音がし、硫黄を含んだ火山ガスがサン・ピエールにまで達した。4月30日に付近の川で土石流が発生し、付近の村を飲み込んだ。5月2日午前11時30分、プレー山は地震とともに噴火し、火山灰などの噴出物が島の北部を覆った。火山灰などに汚染された植物を食べた家畜が死亡するようになった。5月3日に降灰は北の方に積もるようになりサン・ピエールへの降灰は一時少なくなったが、翌日には一転して増加。サン・ピエールとル・プルシュール地区との交通は遮断され、激しい降灰のために船の運航は難しくなった。

5月5日月曜日に噴火は一時落ち着いた。一方、今まで落ち着いていた、山の西部からも噴煙が上がり始めた。同日、山頂の火口湖の一部が崩落して火山泥流がブランシュ川に押し寄せ、付近の村の住民約150名が犠牲となった。生き残った町の周辺の人々は安全を求めてサン・ピエールに流入した。翌6日の午前2時頃にも、大音響とともに噴火が起こった。さらに5月7日水曜日の午前4時頃から活発になり、火山の火映によりオレンジ色に染まった火山灰が山全体に降り注いだ。その日の間に多くの人々が町を脱出した一方で、町で噴火をやり過ごそうとした周辺からの住民が殺到したので、サン・ピエールの人口は数千人増加した。 11日にサン・ピエールの市長選挙が行われる予定だった事もあり、新聞はあくまでサン・ピエールは安全であると主張した。

同日には隣のセントビンセント島のスフリエール山が噴火し、火砕流により1680人が死亡。当局はこれによりプレー山への圧力が解放されたと発表し住民らを安心させた。事実、山の活動も落ち着いたように見えた。

 

大噴火 

主の昇天の祭日である5月8日、人々は朝から噴火する山を見物していた。7時52分、それまで火山の情報を送っていたサン・ピエールの電信士が "allez"(どうぞ)とフォール・ド・フランス(サン・ピエールの南にある町)に送信したのを最後に町との連絡は途絶えた。その時、サン・ピエールに停泊していた船から噴火の様子が目撃された。山は4度にわたって爆発し、噴煙が上空に噴き上がる一方、その一部が火砕流となってサン・ピエールの方向へ流れて行った。

高温の火砕流は瞬く間にサン・ピエールを飲み込み、建物を倒壊させると共に大量のラム酒を貯蔵した倉庫を爆発させたために町は炎に包まれた。港に停泊していた18隻の船も巻き込まれて16隻が沈没したが、奇跡的に焼け残った2隻の船内にいた約100人が生還できた。

災害発生により派遣された軍艦は12時30分頃に到着したが、火砕流の熱により午後3時頃まで接岸できなかった。町はその後数日間燃え続け、破壊された町並みと多くの焼死体があってた。

火砕流の速度は時速約150~200km、温度は約1,000℃であったと推測されるが、サン・ピエールに到達したのは火砕流上部の、火山灰や火山ガスを主とする密度が小さく流動性の大きな部分だけで、溶岩塊を含んだ高密度の本体は地形の影響を受けやすく、サン・ピエールのはるか手前で谷に入ってサン・ピエール直撃コースを外れ、海に流れて行った。町に流入した低密度で高温の流体は、その特性から「熱雲」と呼ばれ、火砕流の代名詞としてしばしば用いられた。

この災害による死者数ははっきりしないが、サン・ピエールの住民と避難民合わせて2万4,000人とも、3万人ないし4万人とも言われている。人々が僅か数分(時計は噴火の2分後に停止している)のうちに死亡したことは確からしい。

 

市内の生存者は、3名だけだったことで有名な災害だと思う。映画や小説の題材にもなっている。そのうちの1名は、1ヶ月前に町で喧嘩騒ぎを起こし、海辺の独房に監禁されていたため、難を逃れている。

何が幸いするか分からないが、偶然と言えば偶然である。

この災害は、専門家が冷静な分析を行っていれば十分防ぐことができたものである。しかし、5月11日に実施予定の選挙のため、市民が市から退避するのを防ごうと、市の首脳部や新聞社はプレー山の活動を過小評価し、あるいは無視して、差し迫った危険を市民に知らせなかった。災害の直前には市長は市に戻って安全を強調すると共に、軍隊により住民の退去を強制的に阻止した。しかし、島の地形がサン・ピエール市を災害から守るようになっていると信じて郊外から市内に移った人々もいた。

 

//// ここまでは、ウィキペデイアから省略・加筆して転載した。

 

行政の使命として、住民の安全を守ることは重要な業務である。110年前のこととは言え、サン・ピエールの行政側は、その使命を放棄している。火山爆発の脅威は、当時の知識としても十分知られていたのだし、前日までの火山活動を見れば島のどこにいても危険であることは予測できたと思う。亡くなった数万の市民が気の毒でならない。

 

40年前、私が小学生の頃は、火山を死火山、休火山、活火山と分類して教科書に掲載されていた。しかし、現在は、活火山とそれ以外の山として分けられている。火山活動が終わったのか、休んでいるのかは判断できないからである。ただ、全く活動していない山がいきなり大噴火を起こすということはないので、ある程度の予測は可能である。以前紹介した、北海道の有珠山噴火では、見事に予測が的中し一人の犠牲者も出なかった。勿論、あまりに大規模な火山爆発では、どうにもならない事態も発生すると思う。しかし、そんな場合でも、減災を目的に様々準備を行うことは無駄ではない。なるべくなら防止・防災する、その防止・防災が無理なら減災するという考えが被害を食い止めると思う。