takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

小林秀雄・「私の人生觀」

明日の4月13日は、アポロ13号の事故日だが、12日は特に書くべき事故はない、そのため、心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書いてみる。

 

sos_jpさんのブログに、「天職」と言う言葉があったので過剰に反応。

昨今、「てんしょく」と言えば、それは「転職」つまり、仕事を変える、勤務先を変えることである。「天職」の方は死語に近いと思う。そもそも、「天」と「職」がなぜ結びつくのか。この場合の「天」は文字通りの「空」の天ではなく、日本の「神様」に近いものだと思う、西欧の「神」ではなく日本の神様である。その八百万の神様の一人と上手く出会って、生きがいを感じて働く職業を授かることができた場合、「この仕事は天職だ」と感じるのだと思う。

ところで、このブログの「お題」は小林秀雄の「考へるヒント」から借りている。

その小林秀雄が「私の人生觀」と言う講演の中で天職について語っているので、そこを紹介する。

 

//// ここから ////

 天職といふ言葉がある。若し天といふ言葉を、自分の職業に對していよいよ深まつて行く意識的な愛着の極限概念と解するなら、これは正しい立派な言葉であります。今日天職といふ樣な言葉がもはや陳腐に聞えるのは、今日では樣々な事情から、人が自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業を見附ける事が大變困難になつたので、多くの人が職業のなかに人間の目的を發見する事を諦めて了つたからです。これは悲しむべき事であります。

 さういふ樣な次第で、私は書きたい主題は澤山持つてゐるが、進んで喋りたい事など何にもない。喋つて済ませる事は、喋つて済ますが、喋る事ではどうしても現れて來ない思想といふものがあつて、これが文章といふ言葉の特殊な組合せを要求するからであります。若し私に人生觀といふものがあるとすれば、そちらの方に現れざるを得ない。従つて、私の人生観といふものをまともにお話しする事は、うまく行く筈がないから、皆が使つてゐる人生觀といふ言葉についてお話ししたい。

//// ここまで ////

 

ここで小林秀雄は、自分の職業は文筆家だから講演で話しをするのは自分の本業ではない、自分の人生觀を表現しようとすれば、それは書くことでしか表現できない、と述べている。しかし、私はその前の「天職」と言う言葉の定義に注目したい。「天といふ言葉を、自分の職業に對していよいよ深まつて行く意識的な愛着の極限概念」、つまり、運命的に与えられた、授かったと意識せざるを得ない職業。また「自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業」が天職であると言っている。

現代社会の中で、「自分の一切の喜びや悲しみを託して悔いぬ職業」と出会うことができる人は、少数派だと思う。また、職業に対してそこまで考えること自体が古い考えだとも言える。17時のチャイムが鳴ると同時に手を止めて、17時05分にはタイムカードを押して帰る社員もいる。私は、仕事から解放されて嬉しそうに帰る彼らを見て、一日ご苦労様と思う。誰でも、人や社会に迷惑にならない限り自分の価値観で生きれば良い。ところで、私の「仕事」というものに対する考えは、また少し異なるのでどこかで書く。キーワードは、「仕事が全て?」「全てが仕事!」。