takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

史上最悪の航空機事故・テネリフェ空港ジャンボ機衝突を忘れてはいけない

1977年3月27日17時6分(現地時間)、スペイン領カナリア諸島テネリフェ島にあるロス・ロデオス空港の滑走路上で2機のボーイング747型機同士が衝突し、乗客乗員合わせて583人が死亡した。死者数においては史上最悪の航空事故であり、死者数の多さなどから「テネリフェの悲劇 / テネリフェの惨事 (Tenerife Disaster) 」とも呼ばれている。生存者は乗客54人と乗員7人であった。

 

原因

スペイン、オランダ、アメリカ合衆国から派遣された70人以上の航空事故調査官、および両機を運航していた航空会社が事故調査に入った。明らかになった事実は、事故当時パイロットや管制などの間に、誤解や誤った仮定があったことを示していた。コックピットボイスレコーダーの聞き取り調査から、テネリフェ管制塔がKLM機は滑走路の端で静止して離陸許可を待っているとの確信を持っていたその時、KLM機パイロットは離陸許可が出たと確信していたことがわかった。

KLM機に責任があるとするスペイン側調査結果と、事故は複合要因によるものというオランダ側調査結果は対立したが、おおむねオランダ側のものが公平なレポートと評価された。個々の要因のどれが相対的に重要であったかは今も議論があるが、総合的な結論は、以下の要因が部分的に原因となって事故が起こったというものであった。

  • 管制官が2機を同時に滑走路に進入させたこと。
  • KLM機が「管制承認」を「離陸許可」と誤認して離陸滑走を行ったこと。
  • パンナム機が指示された C3出口で滑走路を出なかったこと。
  • KLM副操縦士および管制官が標準でない用語( "We're at take off" と "O.K." )を交信に使用したこと。

押しつぶしたような無線音声、ヘテロダイン現象が起こった事により、それぞれに誤解が生じた(まったく同時に管制官とパンナム機両方が送信を行い、それゆえ交信音声が打ち消し合いKLM機には聞こえなかった)。

パンナム機機長が「まだ滑走路にいる」と報告したとき、KLM機長はそれを機関士が進言したにもかかわらず離陸を中断しなかったこと。

KLM機は燃料を補給して重くなっていたこと(補給をしていなければギリギリの線でパンナム機をかわせていた可能性もあった)。

 

//// ここまでは、ウィキペディアから省略・加筆して転載した。

 

犠牲者数538名、35年前に発生した最悪の航空機事故である。単独機では日航の御巣鷹山墜落事故がこの8年後1985年に発生している。しかし、スペインの方は、ジャンボ機同士の衝突事故だから被害は大きかった。今後も、この被害を越える事故を起こしてはならないし、起きて欲しくもない。

この事故の後、操縦士と管制官のやりとりは、標準化された英語とされ、規則も細かく決められたが必ずしも遵守されていないようだ。

例えば、2008年2月16日新千歳空港で2機の航空機(747とMD-90)が滑走路上でニアミスするというテネリフェ事故と全く同じ大惨事寸前の状況が発生している。

この時の原因は、管制官が不注意に「take-off」と言ったため、操縦士が離陸許可と誤認したからである。

どんな、惨事も時間の経過とともに忘れ去られて行く、これはある意味仕方が無いことだが、社会を維持・発展させて行こうと思うなら記録すべきとこは記録し、繰返し注意を喚起する必要がある。

三陸海岸の津波だって、400年で9回も発生している。

 

話を戻すが航空機事故は、人災であり原因をたどると人為的ミスに繋がる場合が多い。その点では地震と大きく異なる。メカの部分では、過去の教訓を活かし改良が続けられている。しかし、管制官と操縦士の意志伝達が上手く行かず事故が発生するのは、ルールを遵守して防ぐほかないと思う。