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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

コメット号空中分解墜落事故(最初)

1954年1月10日、世界最初のジェット旅客機であるイギリスのデ・ハビランド社製「コメット号」は、ローマ・チャンピーノ空港を離陸後、地中海エルバ島近くの高度約8,000mに達したところで空中分解事故を起こし35名の搭乗者全員が死亡した。

コメット号は、デ・ハビランド社が第二次世界大戦の末期に開発した世界最初のジェット旅客機でる。就航したのは1952年5月であり、わずか1年7ヶ月後に爆発空中分解した機体は、その1号機である。

飛行機はバラバラになり海中へ沈んだが水深は180メートルほどであり、当時の技術でも全体の65%程度を引き上げれことができた。引き上げて機体を調査した結果、自動方向探知機のアンテナ窓を起点として亀裂が入り、機体全体が裂けて空中分解に至ったことが判明した。当初はテロ活動も強く疑われたが、同時期に DC-6 の空中火災が連続発生していたこともあり、デ・ハビランド社は燃料系統と電気系の防護策なども行った。余談だが、「未確認飛行物体が衝突し爆発した」などという話しまでまことしやかに囁かれたらしい。

1月10日の空中分解事故の原因は、解明できなかった。そのため、回収した機体を入念に調べ、疑わしい部分60箇所に補強を施しコメット機を再び就航させてしまったのである。

同1954年3月には英国航空局の再使用許可も下り、英国航空は改良型コメット機の再就航に踏み切った。ところが、それから、わずか一ヵ月後の4月8日改良型コメットG-ALYYは、ナポリ南東のストロンボリ島付近50km沖合高度10,700メートルを巡航中に空中分解し、またも海中に墜落するという事故を引き起こしてしまった。この事故による死者は、21名の搭乗者全員であった。

英国航空は即座にコメット全機の使用を中止し、また耐空証明書は英国航空局から返却を命ぜられることになった。

事故調査には、当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルが「イングランド銀行の金庫が空になっても構わない」と徹底解明を指示したらしい。そのため、英国軍の協力の下、国の総力を挙げて調査が行われた。

まず、収容された遺体に対し、法医学的検視することで爆破テロの可能性が否定された。遺体の損傷は激しかったが、爆発物が機内で炸裂した場合に受けるであろう金属片は検出されなかったのである。しかし、検視の結果から事故原因の解明につながる事実が判明した。遺体の多くには、肺気腫や肺の出血と血栓があった。また、頭蓋骨に損傷がないのに鼓膜が破れていた。これらの症状は、急減圧に見舞われた人体特有のものであった。そのため、搭乗者は客室の与圧が突如失われる事態に遭遇したと断定された。

では、なぜ、客室の与圧が急に失われてしまったのか。物理学者まで動員した調査と研究の結果、事故の直接原因が客室内与圧による胴体天井切欠き(アンテナ窓)と客室窓のコーナー部からの疲労き裂の発生であり、疲労亀裂が進展して胴体全体におよび、不安定破壊を生じて破裂に至ったことが明らかにされた。つまり、大まかな言い方だが、外気圧の高低により気密を保った飛行機の胴体そのものが膨らんだり縮んだりすることで、金属疲労を起こし、窓の開き部分を起点として胴体全体に亀裂が入って空中分解したということである。

 

//// ここまでは、失敗知識データベースから省略・加筆して転載した。

 

現在では、当たり前になっている気圧の差による機体への応力や、そこから発生する金属疲労による亀裂のことも、当時はよく理解されていなかった。また、機体への応力の掛かり方に関してもデータはなく、分析方法も確立されていなかったのである。

この事故での、尊い犠牲により、航空機の安全性は飛躍的に向上した。今、私は、タクシーに乗るよりも安全に空を飛んで函館の実家へ帰ることができるのは、この事故のお陰なのだ。