takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

フラッシュ航空604便墜落事故

///// 以下は、ウィキペディアから省略・加筆して転載した。

 

フラッシュ航空604便(ボーイング737-3Q8)は、2004年1月3日の午前4時40分(現地時間)にエジプトのシャルム・エル・シェイク国際空港を離陸し、同じエジプトのカイロ国際空港を経由してフランスのシャルル・ド・ゴール国際空港へ向かう予定だった。しかし、シャルム・エル・シェイク国際空港を離陸して上昇中に操縦不能に陥った結果、海(紅海)に墜落し、乗員乗客148名全員が死亡した。

事故機はチャーター便であり、乗客135名のうち133名は、旅行のためエジプトを訪れたフランス人であった。シャルム・エル・シェイクは、エジプト、シナイ半島南部の都市であり、エジプトにおける第一の国際的リゾート地である。当時だけではなく、現在も中東各国のみならずヨーロッパ各国からも多数の定期便、チャーター便が就航するなど世界的に人気は高い。そのため、事故調査には、エジプトだけでなく、アメリカのNTSBや、フランスのBEAが参加した。

残骸の大部分は水深1,000メートルの海中に水没したため、回収は困難であった。当初、航空機を狙ったテロ情報が相次いで流され、欧米の大手航空会社が次々と欠航を決めるなどの異常事態の中で発生した本件事故をテロと見る声も少なくなかった。これには、事故当時の空港周辺の天候は良好で、運航の支障となるような要素はなかったということもある。事故の直後、エジプト政府の民間航空相はテロの可能性を否定したが、テロも視野に入れた事故調査が展開されることになった。墜落直前に爆発音を聞いたという証人も現れたが、回収された遺体からは爆発の痕跡は発見されなかった。深海からの機体の引き揚げを含む捜索活動及び事故調査には、フランス政府も協力した。

新聞記事によれば、事故機は離陸約5分後、空港から約11Km南方の地点でレーダーから機影が消えた。事故機は、離陸後約2~3分で何らかの異常が発生し、シャルム・エル・シェイク空港に引き返そうとしていた。しかし事故機からはメーデーは発せられていない。事故機は高度5000ft以上の上空から海面まで約17秒間で急降下して墜落した。そのため、墜落の衝撃が激しく回収された遺体はいずれも損傷が激しかった。また、事故機の主要な残骸は、水深約1000mの海底に沈んだ。

回収されたコックピットボイスレコーダーから、機体が右に傾いたとき、機長がその異変にあまり気づいていなかったこと、フライトレコーダーから、そのとき機長が操縦桿を右に傾けたことが判明した。このことから、夜明け前の目印のない暗闇の中、機長が方向感覚を喪失したことで空間識失調に陥り、機体の修正操作を誤ったとされた。

なお、フラッシュ航空は、スイス連邦民間航空当局が2002年10月に実施した機体の抜き打ち検査で、ICAOの定める航空安全基準を満たさなかったため、以後スイス上空の飛行および同国内での離着陸を禁止されていた。しかし、2003年10月にツールズでフランスの民間航空当局が行った検査では合格していた。この事故の調査段階で、フランス民間航空当局は、スイス連邦航空当局が同社に対して飛行を禁止する措置を取っていた事実を知らなかったと述べた。この事故以降、EU加盟国において、安全性に不備のある航空会社のEU域内への乗り入れを禁止、あるいは制限されることとなった。その後、フラッシュ航空は経営が悪化し、事故から2ヵ月後に倒産した。