~あなたもワードプレスでホームページが簡単に作れる~:第1回ITツール活用セミナーのお知らせ
ホームページの制作・管理・運営を簡単にできる方法を3時間でお伝えします。
日時4月14日土曜日
15時~18時:3時間ですが途中15分程度の休憩があります。
場所:ハロー貸会議室八重洲フィナンシャルビル5階
〒103-0027 東京都中央区日本橋3-4-13 八重洲フィナンシャルビル
主旨:個人事業主・士業・スモールビジネスの方向け
ホームページの制作・管理・運営を簡単にできる方法を3時間でお伝えします。
せっかくホームページを作ったのに、まったく問い合わせが来ないと
お悩みの士業、コーチ、コンサル、セラピストなど個人起業家の方へ
(個人商店や製造業も対応しています)
ITが苦手、ブログ書けない方でも
たった4ヶ月で
グーグル検索で1ページ目に表示されて
問合せを『自動化』できるホームページが
自分でつくれます。
参加費用は5,000円
先ずはお問い合わせをどうぞ。
第1回には、驚きのプレゼントがあります。
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第6弾『白銀号事件』
イギリスのカレー
競走馬「白銀号」の失踪と、その調教師のジョン・ストレーカー殺害事件を扱った『白銀号事件』のキー・アイテムの一つに、アヘン入りカレー料理が登場します。
今日の日本では、ラーメンと双璧をなす国民食です。
以外かもしれませんが、イギリスでもカレーは国民的な料理です。
日本の様にご飯にかけて食べるというのではありませんが、様々な形でカレー料理があります。
歴史的な観点で考えれば、インドの旧宗主国がイギリスだったので、カレーとイギリスの接点が見えてきます。
その歴史をひも解くと、「16~17世紀に、インドのカレーがヨーロッパの文化に初めて出会う。18世紀に、世界をリードする大英帝国にカレーが浸透。19世紀に、イギリスで発明されたカレーパウダーは、その後日本へ。」
(https://housefoods.jp/data/curryhouse/know/world/index_w.html より)と、日本以上に、イギリスではカレーの歴史が古く、国民食として浸透しているようです。
19世紀末のイギリス
そのカレーに、アヘンを入れたことで、厩舎の寝ずの番であるエディス・バクスターが、昏睡状態に陥り、「白銀号」が誘拐されます。
アヘンと言えば、イギリスと清の間で、1840年から2年にわたり繰り広げられた「阿片戦争」を思い出します。アヘンとは、いわゆる麻薬です。
「アヘンの粉末を売りわたしたのはどこの薬屋ですか?」。(『シャーロック・ホームズの思い出』の『白銀号事件』新潮文庫、コナン・ドイル著、延原謙訳 P22より)
グレゴリー警部の推理の矛盾点を指摘するシャーロック・ホームズのこのセリフより、『白銀号事件』出版の1892年当時、アヘンは薬屋で販売されていたようです。「阿片戦争」を経て、悪者扱いされていてもおかしくないはずですが、普通に流通していたのが不思議なくらいです。
本書を読んだとき、「アヘン入りカレー料理」とは、奇抜なキー・アイテムだなと思いましたが、当時のイギリスでは、ごく普通に流通しているものの組み合わせだと、少し調べるだけでわかりました。アヘンの匂いを消すためにカレー料理と、それを混ぜたのです。カレーを使った犯罪では、1998年に発生した「和歌山毒物カレー」を思い出します。林眞須美容疑者が、『白銀号事件』を読んでいたかも知れないと夢想すると、『白銀号事件』は、結構怖い話となります。
動物を使った推理小説
他のキー・アイテムと言うか、最重要アイテムは、「白銀号」そのものです。
「現代的なミステリーの最初の作品『モルグ街の殺人』(E=A=ポー)もそうですが、動物をあつかった作品は、ミステリーに多く見受けられます。『黒猫』(ポー)、『かたつむりの島』(パトリシア=ハイスミス)などの怪奇小説もありますし、『恐竜の尾事件』(E=D=ホック)、『レントン館事件』(A=モリスン)などのパズル小説もあります。」(『シャーロック・ホームズの思い出(上)』偕成社、コナン・ドイル著、沢田洋二郎他訳 P301より)もちろん、コナン・ドイルの『まだらの紐』も外されない動物が絡んだミステリーです。
実は、「ドイルは、動物にはあまりくわしくないらしく、ときに、まちがいを書いています。(中略)発表当時、スポーツ新聞に競馬界について知らなさすぎると批難された、と、自伝『回想と冒険』のなかで、ドイルはのべています。」(同書 P3021より)とありますが、それを差し引いても、十分に楽しめる動物ミステリーであり、間違いを素直に認めるコナン・ドイルの誠実さが、さらに、『白銀号事件』を輝かせています。
有るべきはずのものがない
ホームズはこの事件の中で聞き込みをする際に「犬の鳴き声が聞えなかった」ことに注目しています。本来有るべきはずのものがない。要するに知らない人が入ってきたら吠えるはずの犬が吠えなかった。犯人は、見ず知らずの人ではなく犬が吠えない人物であると推理したのです。
学習塾を開業した方から伺った話「悪が栄えるために必要なのは、善人が何もしないことである」
個人が特定されないように今流行の「改竄」をしています
(「改竄」が有ったかどうかそれは分りません、「改竄」と言う流行語のことを言ってます)
善悪を語る時に目を背けてはならない事は、果たしてそれが本当にそれぞれ「善」、「悪」として正しく認識できているのか、という事だと思うのです。
いや、少し言葉が悪いですね。私自身にとって「善」と信じて疑わない事が、本当に「善」なのか、「悪」と信じて憎む事が本当に「悪」なのか、そこで盲目的になってしまうと、善悪はただの「自分にとって都合か良いか悪いか」だけの判断基準で決められる、非常に曖昧なものとなってしまいます。
なぜ、こんな事をお話したかと申しますと、私は若い頃、教師をしておりましたが、よく子どもたちを罰しました。校則を破った生徒、他の生徒を傷つけた生徒、教師に対して敬意を持たない態度をとった生徒、様々な理由で、私は彼らを罰しました。
しかし、この手に残る感触は、どこか後ろめたく、果たして本当に彼らを罰した事が正しいおこないだったのか、今でも振り返っては自問する日々なのです。
彼らには彼らの善悪があり、我々教師には理解し得ない主張や信念があるのだろう。
それを、大人の基準で罰せられるものなのか、彼らの王国に存在するルールからすると不本意で理不尽なものにより罰という名の災害が降り注いだだけなのか、そう思ってしまうのです。
そうやってずっと悩んできました。
それは、私自身がいわゆる「問題児」だったからに他なりません。
問題児だった私に、問題児というレッテルを貼ったのは大人。その大人を見返したく、そして、大人たちの問題児というレッテルを貼られてしまった子どもに寄り添いたく、私は教師を目指したのでした。
しかし、どうでしょう。
いざ、教師になって、私がしてきた事は、あの頃、問題児だった私が不本意で理不尽で暴力的で威圧的だと感じた大人のそれと、同じ事だったのではないでしょうか。
悩み続けて四半世紀ほどが経ったころ、私は、エドマンド・バークのひと言に救われました。
「悪が栄えるために必要なのは、善人が何もしないことである」
"All that is necessary for evil to succeed is for good men to do nothing."
- Edmund Burke
子どもたちのことを「悪」と言うのではありません。
「悪」とは、無垢な子どもたちの心をいつでも付け狙う甘い誘惑の数々です。今思えば、私も問題児だった頃は、この「悪」の底知れぬ魅力に取りつかれ、大人たちに反抗の牙を向けていたのでした。
「善」を定義づけるのはとても難しいことですが、子どもたちよりも幾ばくか人生を長く生き、自分なりの「善」を育んできた者が、何もせずに悪が栄えていくのを見ているわけには参りません。悪は魅力をはらんでいます。善は逆に、時に苦痛をともなう事もあります。私とて、生徒を怒鳴りつけたり、必要があれば手を上げた時、この心が痛まない日はありませんでした。
そう、悪は、善よりもはるかに浸透し、蔓延しやすい性質をもっているのです。
それゆえ、「善」を持つ者が動かねば、悪はあっという間に侵食してしまうでしょう。
悪を栄えさせないため、悪の侵食を食い止めるためには、善人が何かしなければならないのです。
このエドマンド・バークの言葉は、私の勇気の灯火となりました。心に強く訴えかけ、私を鼓舞してくれました。
もう教師から退いて何年も経ちますが、あの頃「問題児」として私の手を焼かせていた生徒たちのうちの何名かは、私と同じ教師をいう道を選び、そして私と同じ悩みを抱えながら懸命に子どもたちに忍び寄る「悪」の影と闘っています。
そんな彼らが心の葛藤を私に打ち明ける時、私はいつもこの言葉を贈るのです。
インターネット戦略を考えている士業や個人事業主の方へ
やるなら初めからしっかりやろう
web対策をしないということは「集客の放棄」とも言えます ~ノウハウ本「エンジニア成長戦略」著者がITの苦手な士業・起業家・個人事業主に警鐘を鳴らす~/起業110番
士業をしているうえで、必ずぶつかるのが独立起業の問題です。
私の場合は、会社員との併走期間が2年、独立してから2年です。
昨年の結果は確定申告がおわりました。
今年の暮れには、法人設立できそうです。
私の場合は、営業活動はほぼゼロ、全てインターネットでやってきました。
それが、私には向いていたようです。
しかし、回りをみると他の個人事業主・士業の皆さんはそうではありません。
すでに起業を果たして個人事業主となっている場合でも、今後起業を考えているような人であっても、抱える悩みというのは少なくありません。
なかでも、WEB対策に関して言えば、くわしくない人にとっては全く未知の領域です。
しかし、だからといってWEB対策を放棄したりないがしろにしているようでは、これからの士業の未来を考えたとき、その未来が明るいとは言えません。
いまや、WEB対策は必須の時代になっています。
WEB対策は「した方がいい」から「必須」の時代へ
つい数年前までは、起業を考えるとき、もしくは個人事業を営む際、WEB対策はした方がいいといわれていました。
もちろんそれは間違いではなく、そのころはまだ、WEB経由で販売促進や集客が期待出来得るという程度の物であったことは確かです。
しかし、今やそれはもう間違っているといってもいい時代になりました。
いま、士業家が起業を考えるもしくは個人事業主として商売を営んでいくという時に、WEB対策を全くせずにその道に突き進んでいくのは、もはや無謀といっても過言ではありません。
そう、すでに時代は変わってしまっているのです。
とは言え、何でも狙い通りと言う訳には行きません。
このサービスをインターネットで開始したのは今年の1月28日ですが、最初のお申し込みは、地元の商工会を通じた口コミでした。
これから、躍進させます。
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第5弾『ぶな屋敷』
『ぶな屋敷』の「ぶな」は、何度か耳にしたことのある木の名前ですが、具体的にはどのような木なのかわからないので、調べてみました。「北海道、本州、四国、九州に分布する落葉高木。高さは30m、直径1.5mに達するものもある。樹皮は滑らかで割れ目がなく、色は灰白色あるいは暗灰色。幹表面に地衣類が着生してさまざまな模様をつくる」。(『原寸図鑑 葉っぱでおぼえる樹木』濱野周泰監修、柏書房、P72より)図鑑の写真を見ると、「地衣類が着生してさまざまな模様」が、不気味です。
その不気味さと同じように、破格の報酬にて、家庭教師として雇われた依頼人のヴァイオレット・ハンガー嬢が、雇い主のルーカッスルの邸宅・ぶな屋敷を初めて訪れた際の印象は、「ぶな屋敷はルーカッスルさんのお話のとおり、美しい場所にありましたが、建物は美しくありませんでした。(中略)風雨にさらされ、しみだらけで雨筋の跡が浮いています。(中略)玄関のすぐ前にブナの木立があって、それが屋敷の名の由来となっています」(『シャーロック・ホームズの冒険』の『ぶな屋敷』角川文庫、コナン・ドイル著、石田文子訳 P428より)でした。
図鑑では、「人面木」とも言うべき樹皮が、人の顔のような起伏を作り、コケなどで斑紋を作っています。ブナの木のコケの斑紋と、ぶな屋敷の「しみだらけで雨筋の跡」は、「美しくありませんでした」というハンガー嬢のセリフと符合します。コナン・ドイルは、ブナの木を陰鬱な象徴として考え、タイトルを『ぶな屋敷』にしたのだろうと、私は想像しました。
その想像を裏付けするのは、ぶな屋敷に向かう列車の中で、ワトソンに向けて発せられたシャーロック・ホームズの名セリフです。車窓の美しい田園風景に感嘆しているワトソンに対して、「ロンドンのどんなに薄汚い路地よりも、のどかで美しい田園地帯のほうが、はるかに恐ろしい罪悪を抱えているものなんだ」(同書P426より)と、言い放ちます。この根拠は、都会では人目があるが、田舎の孤立した家々では人目が届かないと言うことです。人目が届かないぶな屋敷こそ、陰鬱で罪悪を抱えているという訳です。
事件発生前の小休止的場面で発せられるホームズのこのセリフは、奇妙な事件への伏線として、私に強烈なインパクトを残しました。それもそのはずです。ある英語引用句辞典に、収録されており、「世界の有名人の名言を編集したのが引用句辞典です。クリスティー、セイヤーズ、チャンドラーなども大判の英語引用句辞典にはのっていますが、ほんのおしるしです。やはり、コナン=ドイルはりっぱな作家といえます」。(『シャーロック・ホームズの冒険(下)』コナン=ドイル著、平賀悦子訳、偕成社、P371より)と、絶賛されているセリフなのです。
名セリフの不安を払拭する活躍をして、ホームズは、ハンガー嬢を恐怖から救い出します。色恋沙汰の少ないホームズものですが、どうやら、ホームズは、ハンガー嬢に好意を寄せていたようです。それは、最後のワトソンの回想録のみから、推測されます。
「彼女が自分の扱う事件の中心人物でなくなったとたん、ホームズは彼女に対する関心を失い、ぼくをがっかりさせた」。(同書、角川文庫版 P450より)ホームズの恋心を、そっと見守る名脇役のワトソンは、最後に「がっかり」はするものの、私は、彼のかげながらの優しさに、陰鬱な事件を忘れさせる清々しさを感じました。
(私はジェレミー・ブレッドのシャーロックホームズシリーズを全て持っています。
少し高齢になりすぎと批判もありますが、私は原典に忠実なこのDVDシリーズは好きです。)
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第4段『緑柱石の宝冠』
私は、角川文庫版『エメラルドの宝冠』にて、この作品を読みましたが、他出版社のタイトル訳では、聞き慣れない石の名前・緑柱石が登場します。
その石は、「エメラルドのことです。緑色の濃さでいえば、エメラルドはふかい緑色、緑柱石は少し淡い、のちがいで成分は同じです」。(『シャーロック・ホームズの冒険』コナン・ドイル著、平賀悦子 他訳、偕成社 P369より)
タイトルを一つとっても、その時代時代の空気に触れることができます。この行為は、小説を読む楽しみの一つである、「現実逃避」とでも言うべきでしょうか、自分の知らない世界に誘われて、我を忘れてどっぷりと浸ってしまうことに通じます。この『緑柱石の宝冠』では、19世紀後半のロンドンの大銀行家でさえも、触れることの出来ない―国家の有力者のやぶさかならぬ借金の担保代わりに預かることとなるのですが―21世紀のダイアモンドに匹敵する貴重な宝冠を巡って、当時の大銀行家の世界を垣間見ることが出来ます。
さて、物語はいつものように、ホームズの部屋で、その主とワトソンの会話から始まります。雪の道なので、ホームズものの定番である馬車でなく、奇妙な歩きぶりで大銀行家のアレキサンダー・ホールダーが登場します。この富裕層は、普段は馬車―感覚的には、現在で言えばタクシーでしょう―で移動するので、慣れない雪道に「必死で走りながら、ときどきぴょんぴょんと飛び跳ねている(中略)しかも、走りながら両手をあげたりおろしたり、頭を振ったり、顔をめちゃくちゃにゆがめたり」(『シャーロック・ホームズの冒険』の『エメラルドの宝冠』角川文庫、コナン・ドイル著、石田文子訳 P370より)と悪戦苦闘をします。そして、何とかホームズを訪問します。奇妙な歩きの余韻を引きずり、訪問後も気が動転したままです。
しかし、ホームズの落ち着き払った会話にて、冷静さを取り戻します。そこで、「緑柱石の宝冠」の一部が、盗難にあい、その犯人が放蕩息子のアーサーだと、理路整然と説明します。この事件の発端におけるホールダーの服装の描写―地味だが上等な服装をしていて、黒いフロックコートに真新しいシルクハット、こぎれいな茶色の深靴、仕立てのいいパールグレーのズボンといったいでたちだ。(同書 P370より)―にて、19世紀のロンドン上流社会に触れることができます。一方で、社会的な地位を得ている登場人物が、放蕩息子に翻弄されるという、今日の日本社会でもありがちな構成となっています。19世紀末のロンドンと今の日本が、繋がったような錯覚をおこしそうです。
その繋がりを断つのは、父に犯人と疑われたアーサーの行為を、「息子さんは騎士道精神にのっとって」(同書 P403より)と称えるホームズのセリフです。現代で考えると時代かかったセリフで、日本では、武士道精神となるのでしょう。ありがちな構成の物語も、騎士道精神に言及するホームズのセリフで、私は、一気に19世紀後半のイギリスの規範の世界に引き込まれました。アーサーにとっては、汚名返上の最大の誉め言葉となり、私とっても、大銀行家を戒める舌鋒鋭い金言となりました。
最後に、この物語のこぼれ話を一題。「エメラルドが三十九個もついた宝冠を預けたのは、誰だろう。皇族の一人、プリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)だという説もある」(『シャーロキアンは眠れない』飛鳥新社、小林司・東山あかね著、P219いり)当時の緑柱石は、今のダイアモンドより価値があったと想像したいです。そうすれば、ホームズの活躍がもっとまぶしくなります。
ちなみに、この依頼者ですが、シャーロックホームズ研究家の間では、後のエドワード7世が最有力です。
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第3弾『赤毛連盟』
シャーロキアンからの人気投票では毎回1位~3位までに入る作品
(ウィキペディアより)
『まだらの紐』『技師の親指』と、久しぶりにコナン・ドイルのシャーロック・ホームズものを立て続けに読むと、ホームズの推理力の素晴らしさ、すなわち、コナン・ドイルの推理の構成力に感心させられます。
その推理を導きだすホームズの依頼者にする質問は、唐突感のある、もっと言えば、不自然なタイミングで行われます。依頼者の話が終わった後で、まとめて質問するような行儀のよいものではありません。
好みの問題かと思いますが、私は、刑事コロンボのように、帰り際にしつこく、「うちのカミさんがね」と、ダメを押す質問の仕方が好きでした。
好きでした。と過去形で語るのは、以下に引用するイギリス人の質問に関する伝統を読んで、ホームズの不自然な質問のタイミングの意味を理解したからです。
「イギリスでは、伝統的にモヤモヤした状況を一気に解決に向かって動かせるような質問が出せる人が『頭がいい』と考えられ、重んじられています」(「最高の結果を引き出す質問力」河出書房新社、茂木健一郎著、P18より。太字もそのまま引用)
ホームズは『頭のいい』、すなわち、卓抜した推理力の持ち主なので、依頼者の話の途中でも、既に答えを導き出しおり、その不自然とも思えるタイミングで念押しのための、「一気に解決に向かって動かせるような質問」をしているのでした。
イギリスの質問に関する伝統を、茂木さんから教わったおかげで、ホームズの質問を、今まで以上に楽しむことができるようになりました。
前置きが長くなりましたが、『赤毛連盟』におけるホームズの唐突感のある質問を楽しむために、以下に引用します。
―「その店員は仕事を覚えたいのでふつうの給料の半分でいいといってくれているんですよ」
「そのありがたい若者の名前はなんといいますか?」
「ヴィンセント・スポールディングです。(中略)とにかく、頭はいいですよ、ホームズさん。だからもっといい職に就いて、うちで払っている分の倍はすぐ稼げるはずです。しかし(中略)こっちからよけいなことをいう必要もないでしょう?」
「もちろんです。しかし、世間なみの給料も払わずに人を雇えるとは、ずいぶんラッキーですね。(中略)例の広告に劣らないほど珍しい存在かもしれませんよ」
「いや、あの男には欠点もあるんです。(中略)写真を撮りまくっては、ウサギが巣穴へ逃げるみたいに地下室へ飛び込んで現像するんですよ。(以下、略)」(短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の「赤毛連盟」コナン・ドイル著、石田文子訳、角川文庫P51より)
「赤毛連盟」の奇妙な新聞広告から、不思議な出来事に巻き込まれた依頼人のジェイブズ・ウィルソンが、ホームズに一部始終を話している途中で、早速、ヴィンセント・スポールディングに目をつけたホームズは、「例の広告」に劣らないと、「赤毛連盟」の広告を引き合いに出し、さらに、ヴィンセントに関する「地下室へ飛び込んで」という情報を聞き出します。何とも切れ味鋭い「質問力」です。
他の作品も同様に、ホームズが依頼者に質問をした時点で、事件のある程度の概要が明らかになるのです。
ある意味、ホームズの質問の唐突感は、事件解決に向けてのトップギアの役割を果たしています。すなわち、コナン・ドイルの作中における「大道具」なのです。
これからも、もっともっと、ホームズの「唐突感のある質問」を楽しんでいきたいです。
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第2段『技師の親指』
ホームズの推理力が炸裂
犯人の隠れ家―『技師の親指』では、悪賢い一味が偽金をつくる場所であり、被害者である技師の親指が切断された場所―を探しあてるシャーロック・ホームズの推理力の見事さが、本作品の面白さです。
(ウィキペディアより)
犯人の隠れ家がわからないために、捜査が行き詰ってしまう。読者は、それを明かす捜査側の仕掛けや捜査力―本作品の場合は、シャーロック・ホームズの洞察力や観察力によって導かれる推理力―を知るその瞬間に、作品に引き込まれます。それは、捜査をしている登場人物と共に、犯人を捕まえる手掛かりを掴むという疑似体験によって得られる快感とも言えます。
ストーリー展開は全く違いますが、私は黒澤明監督の『天国と地獄』における犯人の隠れ家が見つかるシーンを、『技師の親指』における犯人の隠れ家が見つかるシーンに重ね合わせました。
『天国と地獄』では、誘拐された子供を取り戻しますが、身代金を捕られてしまう捜査陣が、犯人に対して、身代金受け渡しに使った鞄を燃やすように仕向け、その燃やした煙が牡丹色になる―事前に捜査陣が施している仕掛け―のを目印として、隠れ家を探し当てます。モノクロ画像が、牡丹色に変わるシーンは、捜査陣の捜査成功の歓喜の色とも捉えることができます。
『技師の親指』は、映画ではないので、このような手法は使えませんが、そのシーンを引用してみます。
―われわれがアイフォードの駅に到着したとき、大きな煙の柱が近くの木立の向こうから立ちのぼり、巨大なダチョウの羽のように村の上空に広がっていた。―(『シャーロック・ホームズの冒険』の『技師の親指』P328より、角川文庫、コナン・ドイル著、石田文子訳)
『天国と地獄』の場合、モノクロ画像に映える牡丹色の煙。『技師の親指』の場合は、巨大なダチョウの羽のような大きな煙の柱です。煙を大きなダチョウの羽に例えることで、想像も及ばないような迫力が煙に乗りうつります。直喩の効果は絶大です。
『天国と地獄』には、原作があります。アメリカの推理小説作家のエド・マクベインの『87分署シリーズ』の第10話『キングの身代金』です。もし、1926年生まれのエド・マクベインが、『技師の親指』を読んでいたのなら―シャーロック・ホームズの生みの親である1859年生まれのコナン・ドイル作品を教科書的に読んでいたと十分考えられるー『キングの身代金』は、『技師の親指』より構想を得ているとも言え、黒澤明も、もしかしたら、コナン・ドイルとエド・マクベインという両巨匠へのオマージュとして、『天国と地獄』を撮影したと飛躍的に想像することは、私の各作品への愛着としましょう。
冒頭に、巨大なダチョウの羽のような大きな煙の柱が立ちのぼった悪賢い一味の隠れ家を、シャーロック・ホームズが探し当てる推理力に、『技師の親指』の面白さが凝縮されていると紹介しました。推理力と言いましたが、シャーロック・ホームズのそれは、むしろ、『技師の親指』においては、洞察力や観察力と言った方がいいのかもしれません。
複雑なトリックもあるシャーロック・ホームズものではありますが、『技師の親指』のような洞察力や観察力という誰もが備えうる能力にて、事件に迫るという軽いタッチは、同シリーズにおける「小品としての妙味」をも堪能でき、コナン・ドイルの「小粒でもぴりりと辛い」技量を感じさせられます。
朝日新聞さん、まさか参考しにしていませんよね?
2月4日の日曜日、朝日新聞の記事です。
一部そのままコピーします。
メアリーの生きた時代、科学はめざましい進歩を見せ、技術の発展は産業革命をもたらした。そうした近代社会を背景に、この小説は、最高の知性が最悪のモンスターを生むかもしれない不安や、倫理のゆらぎを暗示して今日的だ。久しぶりに手に取ってみると、古びるどころかますます深い読み方を求めてくる。
*
あらためて読み直してみたのは、先月の下旬、本紙に載った1枚の写真にふと不気味さを覚えたからだ。
クローンのサルが2匹、抱き合うように写っていた。中国科学院のチームが体細胞から誕生させることに成功したという。羊や牛などでは前例はあるが霊長類では初めてだと記事は伝えていた。
羊や牛とは違って顔つきや四肢が人間に似ているうえ、表情まで分かる。不安そうに見開いた大きな目には何が映っているのだろう。踏み込んではならない禁断の領域にまた一歩近づいたようで、微(かす)かなおののきが脳裏をかすめた。
英国でドリーという名のクローン羊が誕生したのは1996年だった。世界は衝撃を受け、「この羊のような人間をつくってはならない」などと倫理の線引きが慌ただしく進んだ。それから約20年を経て、原理的には人間にも応用できるレベルまで技術は進んできたようだ。
2匹のサルは「中華」から一字ずつ取って「中中(チョンチョン)」と「華華(ホワホワ)」と名づけられた。中国科学院の幹部は会見で「クローン人間をつくるのが目的ではなく、人類の健康や医療に貢献するため」だと述べていた。とはいえ、こうしたきわどい既成事実を重ねていくうちに、中国に限らず、いつかどこかで禁断の鍵(かぎ)が外れてしまうことはないのかと不安は残る。
私の記事は1月28日の更新ですが
一部を紹介すると
「フランケンシュタイン」は、1818年に出版されました。今から、2世紀も前の物語ですが、ここ20年間における科学の進歩―1997年に、英国でドリーという名のクローン羊が生まれ、今や、中国がクローン猿を作ることに成功―を予見した200年前の「近未来小説」でもあります。要するに現代が舞台と言って良いのです。
2世紀前に「フランケンシュタイン」のような人造人間ができるという例えは、現代科学においては、年の離れた一卵性双生児が生まれるということになります。実際に、中国の研究チームは、「原理的には人間にも応用できる」と、発表しています。
誰が、自分と「年の離れた一卵性双生児」を望むのでしょうか。興味半分で、見てみたいという人もいるかもしれませんが、やはり、気持ちのいいものではありません。中国の研究チームは、医療研究が目的といいますが、人類の破滅に向かうような利用目的に悪用される可能性もあります。もっとも考えられるのは、臓器の提供が必要な病気になったとき、自分の一卵性双生児を作り、その臓器を取ると言う行為、あるいは考え方です。中国はこれをやるつもりなのかもしれません。
まさか天下の朝日新聞様が、1日1,000件程度の過疎ブログを参考にするとは思えませんが、同じ視点で書かれたことは確かです。
これは喜んでよいことなのか?
悲しむべきことなのか?
どんなもんでしょう?
シャーロキアンのシャーロックホームズ:先ずは『まだらの紐』
シャーロックホームズの冒険
密室殺人は推理小説の基本
推理小説の巨匠の代名詞的な作品を挙げてみると、全て「密室殺人事件」となるのでは、ないでしょうか。
エドガー・アラン・ポーと言えば、「モルグ街の殺人」。
江戸川乱歩ならば、『D坂の殺人事件』。
そして、コナン・ドイルの場合は、『まだらのひも』です。
小学生の頃、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズものに熱中。
もちろん、『まだらの紐』も、夢中になって読みました。
そして、今、あらためて読み直すと、もちろん、面白い作品であることは、子どもの頃と同じように変わりありませんでした。
しかし、気になる翻訳箇所、正確に言えば、原題の絶妙さが、邦題をつけることによって、損なわれているのではないかと思える箇所がありました。
事件の鍵
事件の依頼者であるヘレン・ストナーは、探偵のシャーロック・ホームズに、双子の姉・ジュリア・ストナーが謎の死をとげた時のダイイング・メッセージ「まだらの紐」を告げます。このメッセージに対する二人の会話が、ある意味、この物語のクライマックスといっても過言ではないでしょう。以下に引用いたします。
―「なるほど。それで、お姉さんがおっしゃった『ひも』という言葉ですが、それはなにを指すと思われますか?『まだらのひも』でしたね」
「それは、意味のない単なるうわごとかと思いますし、『ひと』といったのかともしれないとも思います。つまり、いまおっしゃったロマ(筆者註、ヒステリックな義理父の唯一の友達であるジプシー一団のこと)のこととかです。よくわかりませんけど、ロマは水玉模様のハンカチを頭にかぶっていることが多いので、そのことを指して、ちょっと変ですけど『まだらの』といったのかなと」
「ホームズは首を横に振った。まるで、その答えは」まちがっているといいたげなようすだ。―(「シャーロック・ホームズの冒険、まだらのひも」コナン・ドイル著、石田文子訳、角川文庫P270より)
邦題から、この密室殺人は、なんらかの「ひも」によってなされたと、本を読む前から想像してしまいます。
密室の中だが、何らかの手段で、ひもを首に巻き付けて、絞殺したのではと。
私たち日本人は、このように謎解きの道筋を邦題から既定されます。
しかし、「ひも」と「ひと」の聞き間違いと思うヘレン・ストナーに対して、その聞き間違い自体が、間違いであると看破してしまうシャーロック・ホームズの「推理の妙」が、この物語のキーポイントと思うと、「ひも」と「ひと」を表す英単語が、何であるか気になります。
原題
原題は、『The Adventure of the Speckled Band』。Bandという単語は、「ひも」という意味と「一団」という意味があります。
英語圏の読者は、本のタイトルをみて、「ひも」によって殺されたのか、ジプシーの「一団」によって殺されたのかは、読み進めないとわからない「コナン・ドイルの仕掛け」となっています。「ひも」と「ひと」の聞き間違いに訳した翻訳者の工夫は見事ですが、やはり、私は、「コナン・ドイルの仕掛け」にはまってみたかったです。
残念な邦題ですが、それを差し引いても、「密室殺人事件」ものの金字塔ともいうべき作品でのシャーロック・ホームズの「推理の妙」は、読んだ人しかわからない奇想天外さになっています。
これから暫く連続で「シャーロックホームズ」の物語に関する感想文や紹介を載せます。